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君の鼠は唄をうたう (2)はなおとめ

あてもなく歩きはじめ、しばらくすると下水管の消失点の先から口笛が聞こえてきた。

子どもの頃に聞いた、どこかの国の唄。身体が音に吸い寄せられるように、僕は歩みを速めた。口笛を吹いていたのは、あの鼠だ。


「まだ、会社に行くのかい」
鼠は、口笛をやめて僕に話しかける。

「まあ、勝手だけどさ。どこに行こうと」

「座ってもいいかな」僕は鼠の横に座り、ここ数日ずっと我慢してきた言葉を口にする。「悪いんだけどさ、煙草持ってない?」

鼠はなぜか下水管の天井をみつめながら、背中のあたりをゴソゴソさせている。

「あいにくおれっち煙草は吸わないんだ。代わりに、やるよ」
鼠が差し出したのは、何かの宣伝チラシだった。

「ここへ来れば、煙草も手に入るかもだよ」

 《鼠ナイト2016~棚ざらしの夜~》


「なんなんだよ、これ」僕はたずねる。

「来ればわかるよ」
そう言って鼠は、またひとりでどこかに消えてしまった。

僕は、そのまましばらくチラシを眺め、ポケットにしまいこんだ。なにをどうすればいいのか、まるで思考が働かない。こんなことは滅多になかったのだ。

仕事仲間の間では有能とまではいかなくても、それなりに気がつく人間で通っていた。
次に何をすべきか、なんて考えなくても降って来たものだ。


僕はいい加減、切断された思考を繋ぎ合わせることも虚しくなって歩き始めた。
鼠のくれたチラシには親切な地図も書かれていたけれど、どっちにしても一本しかない下水管の中では迷いようがなかった。

目印として記されていた緑色に変色した下水の壁までやってくると
僕は、足を3回踏み鳴らす。

ざん、ざん、ざん。

砂地におもりを落としたような音がして、壁が開いた。


……つづく


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熊にバター
 日常と異世界。哀しみとおかしみ。ふたつ同時に愛したい人のための短編集(無料・随時更新)

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君の鼠は唄をうたう(1)