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ときには古い解像度で

なんか疲れてるというか、もやってる人が多かった気がする。この夏。根拠はないんだけど。

そりゃ、いろいろあるさ。頑張りたくても頑張れないこととか。わかってるけどできないこととか。

そういうときって解像度が下がる。

なんだろう。なにかを見ても、なにかの出来事に接してももやる。

もちろん「解像度」と言えば、画像とかパソコンのディスプレイなんかの「解像度が高い、低い」という話なんだけど、ビジネス文脈でも使われたりする。

なにかの提案とかで「もう少し解像度上げて持ってきてよ」とか、「あの人、話の解像度が高いからわかりやすいよね」とか。

そうか、この提案はもう少し解像度を上げないと通らないのか、と高性能なディスプレイでプレゼンすればいいのかというと、そういうことではない。あたり前。

あるとき「解像度ってなに?」のやりとりをしているところに、「自分の中を通ってきたものが解像度だと思う」みたいな禅問答をぶっこんで平和なひとときを乱してしまったのだけど、やっぱりわかるようでわからない。解像度。

困ったときは基本から考える。

そもそも「解像度」は画像のデータ密度だ。僕はどっちかというと「紙」の媒体でいろいろ教え込まれたので、印刷で使われる「dpi(ディー・ピー・アイ)」という呼び方がしっくりくる。

dpiは「dot par inch」の略で、ドット、つまり「点」が1インチ(2.54cm)の幅の中に何個あるかということ。当然、1インチの幅の中にたくさんの「点」があるほうが画像のデータ密度が高いことになる。鮮明ってこと。

たとえば一般的なカラー印刷物の画像入稿データに必要な350dpiなら、1インチ(2.54cm)の線を表すのに350個の「ドット=点(網点)」を使って表す。

たった2.54cmの線の中に350個の点を打つのだ。職人すぎるだろ。そんなに点いらないだろと思いそうになるけど、オンデマンドじゃないカラー印刷の場合はCMYKの4版を使っていろんな色を出す必要がある。

Cはシアン(青系)、Mはマゼンタ(赤系)、Yはイエロー(黄系)、Kはブラック(スミ系)。別に知らなくてもいいんだけど。

たとえば印刷物で「ピンク」をきれいに表現するならどうするか。ピンク色のインクを使うわけではなく、M(マゼンタ)の網点を40%ぐらいの密度で表現する(すごくざっくりの説明です)。

そうなると解像度が低い画像(点の数が少ない画像)だと、そもそもの「点」の数が少ないのできれいなピンクにならないのですよ。書いてて思ったけど、これテキストだけで説明するの無理があるな。

これが新聞なんかの、いわゆる粗い紙(藁半紙とかも)に印刷するのなら解像度も120dpiぐらいになるので、やっぱりちょっと画像も粗くなる。

じゃあ、新聞だって350dpi(厳密に言えばスクリーン線数になるので175線)で印刷すればいいじゃん、そのほうがきれいな画像になるよねと考えることもできるのだけど現実的じゃない。

なぜなら、粗い新聞用紙に高解像度で画像を印刷しようとしても、紙がインクを吸収しきれないから、逆に変に滲んだりしてきれいに印刷されないのだ(入稿データは新聞でも300~400dpi必要だけど)。

何がなんでも常に高解像度がいいってわけでもない。

Retina 5Kディスプレイで5,120×2,880ピクセル解像度の世界はたしかに美しい。でも、なぜか新聞ぐらいの解像度がホッとするときもある。なんなら、その低い解像度のエモさもあったり。

未来感のある画像を、あえて古い解像度で観ると「古い未来」の空気になって個人的にはわりと好きかもしれない。

むしろご自愛なときなら低い解像度でもいいんじゃないか。まあ、こんなことを言ってるのは自分がそういう気分だからなんだけど。

あと、関係ないけど無地の新聞紙はAmazonで売ってる。