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年齢は、もうどうでもよくないですか?

やめたら楽なのにと思うことがあります。年齢を気にしすぎること。

なんで、みんなそんなに年齢を気にするんだろう。ふしぎなんですよね。
もう何歳だからとか、相手にも何歳には見えないとか。
どうでもよくないですか?

やたらと自分や相手の年齢確認しないと落ち着けないのは日本人だけなのかな。
数少ない出会った外国人、あるいは外国とフラットに付き合ってる知り合いを思い出しても、そんな人に会ったことがないので。

僕の場合、自分に対しても他人に対しても、ほとんど年齢を気にしたことがないんです。何歳だろうとすごいなと思う人は尊敬するし、なんなら年下でも敬語使うし、年齢が上でもクソだなと思う人はいるし。すみません。

いや、その場の話の文脈で年齢がすごく意味あるんだったら、べつにいいと思いますよ。誰でも30歳をすぎるとベーグルの画像とキツネが丸まった画像の見分けがつかなくなるとか。よくわからないけど。

そういうのではなくて、わりと知り合って間もない関係性ですぐに年齢を聞き出そうとしたり、相手の年齢によってマウンティングを始める人。あれ、なんなのだろう。

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まあ、直球で年齢を聞く人ってあまりいないけれど、言葉の端々に「気にしてる」感を漂わせる人は結構います。

で、自分より若い、あるいは世間的に若いとされてる年齢の相手が何かをすると「若いのにすごいよね」と、なぜかその物事に対してではなく「年齢に対してすごい」に置き換えられる現象がある。

あるいは、自分より年上、世間的に年輩の人が何かすると今度は逆のベクトルで「何歳なのにすごい」と、これも年齢ベースの称賛がされる。

そういえば、以前、イチロー選手がメジャーではその年(2010年)に唯一の全試合スタメン出場をしたときにインタビューでこう言ってたのを覚えてます。

「なんかね、いちいち年齢のことを言うんですよね、ことあるごとに。まぁ、うるさいっていうか、大丈夫かなって僕が心配するぐらいに」

日米通算4000安打を達成したときも、周囲はさまざまな記録を純粋に評価するよりも、年齢との兼ね合いを持ち出すことにイチロー選手はすごく違和感を感じながらこんなふうに言ってました。

「ある年齢になるとこうなっているだろう、まあなっていてほしいという思いがそこに何か垣間見えてちょっといやなんですよね」

そして独自の立場となったいまも、アスリートとしての年齢の姿勢というか考え方は変わってないことが僕はなんかいいなと思うんです。

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アスリートに限らず、誰でも年齢を気にするより「自分をちゃんと生きる」年数を気にしたほうがいいんじゃないかと個人的には思ってます。

「自分をちゃんと生きる」というのは、そのまんまの意味で「自分は何歳だから」とかの自己規制や、他人から「まだ何歳、もう何歳だから」と言われるのを怖がる他人の目線への過剰な意識をやめて生きること。

自分が思うなら思う。自分がそうしたいならする。それだけのシンプルな姿勢。

そう言ってる僕も、うっかり年齢マウンティングの落とし穴にはまりそうになることもあります。もういい大人だしというのを「言葉」の世界だけでなくリアルに発動してしまうことはまったくないとは言いきれない。

じゃあ、どうしたらいいのか。

オードリーの若林さんが新刊『ナナメの夕暮れ』のインタビューで「斜めに見ることをやめた」と答えていて、それは年齢を気にするのも同じだなと思いました。年齢を気にするのって、結局、自分や相手を直視してなくて斜めに見てるんですよね。

自分を卑下する位置に置いてカースト上位を斜めに見て笑いを取ったり、ズレてる自分の痛さで笑わせるのと同じ。

若林さんはそういう種類の笑いをずっと続けるのもしんどいなと思うようになって、自分のキャラクターでそのままのことをやろう。それで笑われるならいいと。芸人として「素直で正直」なのは全裸で素手で勝負するようなものだけど、そっちのほうが楽な気がします。

「斜に構えたままだと人生あっという間に終わる」

その言葉は「年齢を気にしたままだと人生あっという間に終わる」と置き換えてもいいのかもしれません。