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唐突にお米をつくりたくなる

3月の記憶がない人が結構いるけど、僕もそうだ。

スケジュールを振り返っても、毎日、何かしら仕事の原稿書いて打ち合わせして、地区の仕事や作業や調整して――というログは残ってるのだけど「記憶」があまりない。大丈夫か自分。

で、気が付いたら4月。しかも、なんだか空気が変だ。いつもの4月じゃない。

まあこれはもういろんな偏向とか抜きにして「戦時下」なんだろうなと思う。できれば日常では使いたくない、見聞きしたくない言葉なんだけど。

こういうときって、やっぱり「どうでもいいこと」から姿を消していくというか、表に出せない空気が漂う。まさに不要不急。

みんなで戦ってるのだから、そこを乱さないように。

noteなんかでも、本来、いろんな雑多なあれこれが流れてていいのだけど、やっぱり「こういうとき」を考えがち。

こういうときだから「勇気や元気が出るもの」「深刻になりすぎないもの」「不安にさせないもの」「事態を乗り切るヒントになるもの」が、なんとなく求められてる(気がする)。

まったくもって、そのとおりなんだけどね。

いや、行動レベルとかは実際そうしないとと思う。生物レベルで生き抜くために、普段はつながらないものともつながって(いろんな意味で)生き抜く。

植物たちも、いろんな異変が起こって生存が脅かされたときには、地下で菌根菌ネットワークを使ったりして、いつもなら生存のライバルになる植物とも情報や養分をやりとりをして耐性をつける。

人間が使う意味での「賢さ」を植物や微生物は持ってる。

そこって、どうしても専門的になるし、そもそも研究者も少ないので一般に出てくる情報も少なくて、僕ごときがうまく翻訳して伝えられないのだけど。

でもすごく雑に言っても、そういう言語化されてない植物や微生物たちの振る舞いにもヒントがすごくあるんじゃないかと思う。だって、人間以上に長い歴史を生き延びてきたわけだし。何度も絶滅の危機を超えて。

みたいなことを薄っすら考えてるからなのか、唐突に「お米つくりたいな」とか思ったりする。

そんなことうっかり言ったら「いくらでも田んぼあるよ」「教えてあげるよ」と近所の人に言ってもらえるありがたい環境なので、それはそれでまた自分の首をしめてしまうのだけど。