悲しくない音楽なんてあるのだろうか?(お尻ぺんぺんの打楽器奏者と出会った日)

ベルギーで勉強していた頃、学校にアメリカの凄い打楽器奏者が来たことがあった。確かあっちの学校は2月か3月頃にマスタークラスの時期があって、外部からいろいろなプレイヤーや作曲者たちが学校にやって来て公開レッスンをしてくれていた。

その打楽器奏者は凄かった。
見た目は普通のおじさんだ。あんまり髪の毛がなかった。まず、最初に凄い数の打楽器を並べてそのなかでまるで鬼神が舞うような打楽器ソロを披露した。
30分近くもあったかと思う。
大曲だった。全て暗譜。

それで僕たちは度肝も抜かれてしまったのだが、それで終わりではなかった。

その後、彼は自分自身の身体を楽器にして演奏し始めたのだ。作曲された作品だったと思うけれど、かなり即興が沢山、入っていたような気がする。
彼は足やら、おなかやら、手のひら、お尻ぺんぺん、いろいろな身体の部位を使って「演奏」した。最後に彼は髪の毛のほとんどない彼の頭をぺしゃぺしゃ叩きながらなにやら意味のわからない言葉で歌を歌いながら踊った。そんな記憶がある。

アメリカの打楽器奏者だ。凄かった。頭ぺしゃぺしゃ、お尻ぺんぺんの迫力たるやすさまじいというか、面白、おかしいというか、何というべきか。

彼はお尻ぺんぺんの曲を演奏し終わった後に言った。
「シューベルトは言いました。悲しくない音楽なんてあるだろうか・・・・それでは私はこう言いましょう・・・・ラブソングでない音楽などあるのだろうか・・・・・」

なにやら、僕の理解をかなり超えてしまっていたのだ。とにかく凄かった。
お尻ぺんぺんは彼にとって愛情の表現だったのかもしれない。きっとそうだ。
そうだと思う。

彼は彼なりに満たされない思い、どうしようもない思いみたいなものがあって、それがお尻ぺんぺんという形になって表現されたのではないだろうか。
それはちょっと見ただけでは、滑稽だろう。おかしなものだろう。若くてきれいなオンナの人は、はげたおじさんが自分のお尻をぺんぺんしてるところなんて興味ないだろうと思う。

当時の僕にとっても多分、そうだったと思う。その時はただただ、面白いものだったし、多分、僕は教室の皆と一緒になって笑ったと思う。

でもあれは本当に笑うべき性質のパフォーマンスだったのだろうか?

お尻ぺんぺんの彼が今、どうしているのか、知らない。アメリカの奏者だと言うことだったけれど、今はどうしているのだろう。何処にいるのだろう・・・・

お尻ぺんぺんのアメリカの打楽器奏者と過ごしたあの時間は僕は絶対に忘れないと思う。
あそこには何か、本当の何かがあったと思う。

無名かもしれないけど、いや、多分、無名だろう。名前もないし、髪の毛もない、けれど、その彼が伝えようとしたことは何だったのだろう、と今、僕は思い出す。

ラブソングでない音楽なんてあるのだろうか?

悲しくない音楽なんてあるのだろうか?

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