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情報量が多いテキストとは。

現在ほぼ日で連載中の「東京という名の、広い森。」がおもしろい。

建築家で江戸東京博物館・館長の藤森照信さんと糸井重里さんによる、いわば「東京って、なんだろう?」をテーマにした対談だ。この連載のおもしろさはいろいろあって、たとえば藤森さんがお相手だから、初回から「江戸・東京の建築物」を語りあってもぜんぜんいいと思う。むしろ、取材メモを片手にのぞむ記者ならそこからはじめる。ところが第1回で語り合うのは「お膝元としての東京」。つまり「天皇陛下がいるところ」としての東京だ。たしかにこれは江戸以前とは違う「都としての東京」を考えるうえで、いちばんおおきな前提なのかもしれない。すごい導入だなあ、まったく見事だなあ、と思う。

という内容面のおもしろさとは別に、この対談はリズムがいい。回を追うごとに興に乗ってくる感じが、とても心地いい。

たとえば第2回の「東京を研究する」。

ここで糸井さんの発言に対して、藤森さんは合計4回にわたって「そうそう」と相づちを打つ。おそらく藤森さんの口ぐせでもあるのだろう。もしもこれを同じ相づちが多すぎるからと「そうです」「そうなんです」といった別の受けに変換していたら、この軽妙さは出ない。おそらく近しいのであろうおふたりの関係も伝わらない。

さらに本日更新された第3回の「木と成長してきた街」。

相づちの過剰は、ここでピークをみせる。前回まで「そうそう」を連発していた藤森さんが、なんと6回にもわたって「そうそうそう」の相づちをくり出すのだ(笑)。身を乗り出したり、姿勢を崩したり、藤森さんのお写真も前回までとずいぶん変わってくる。

ぼくは藤森さんにお会いしたことはないし、その声も存じ上げないのだけど、こうして特徴的な口ぐせや、興の乗りかたを文字で再現してもらえると、ぼんやりながら声が聞こえてくる。


情報量の多いテキストって、ほんとはこういうことなんですよね。

「なにが語られたか」だけじゃなく「誰が、どう語ったか」までを含めて、「情報」なんだと思います。しみじみ勉強になります、ほぼ日は。