古賀史健

ライター。バトンズ代表。最新刊『さみしい夜にはペンを持て』。その他『取材・執筆・推敲』…

古賀史健

ライター。バトンズ代表。最新刊『さみしい夜にはペンを持て』。その他『取材・執筆・推敲』『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』『20歳の自分に受けさせたい文章講義』など。週日更新しています。http://www.batons.jp

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    古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。

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『さみしい夜にはペンを持て』刊行のおしらせ。

7月18日(火)、あたらしい本が世に出ます。 タイトルは『さみしい夜にはペンを持て』。ぼくにとってはじめての、中学生に向けた本です。どんな本なのか、どういう意味のタイトルなのか、なぜ中学生に向けてつくったのか。お話ししたいことはたくさんあります。少し長くなるかもしれませんが、お付き合いください。 どんな本なのか本が好きな人ならだれでも、本によって救われた経験があると思います。 ひどく落ち込んでいたとき、あの本に救われた。あの作者の、あのことばが生きる光を与えてくれた。あ

    • ぜいたくの基準。

      年に4〜5回、犬と一緒に小旅行をしている。 車で3時間くらいのところにある、ドッグラン付きの貸別荘だ。貸別荘ということはつまり、食事は出ない(頼めば出るのだけれど)。食材や調味料を持ち込んで、または買い出しに出て、自炊することになる。冬だったら鍋やシチュー。夏だったらテラスで焼肉。そこでのちょっとした手間は、いまではたのしみのひとつになっている。 旅行を犬がどれくらいたのしんでいるのか、よくはわからない。車に乗るのは好きだし、一緒にお出かけするのもたのしいようだ。そして宿

      • いまさらな話のできる相手がいてこそ。

        ぼくは団塊ジュニアの世代である。 そしてこの世代の男性には、わりとプロレスファンが多い。子どものころは国民的娯楽としてのプロレスがゴールデンタイムに放送されていたし、そこにはぴかぴかにまぶしいレスラーが大勢いたし、思春期から20代にかけてはいい具合にプロレス界が細分化してマニア心をくすぐっていった。さらにそこからK-1が流行り、総合格闘技が流行り、目の肥えた(つもりの)プロレスファンたちをますます虜にしていった。ぼくもプロレスファンだった人間のひとりだ。 そういう時代に育

        • ファクトにあたる、その前に。

          生きた化石、と呼ばれる生きものがいる。 まっさきに思い浮かぶのはシーラカンス。そして次点がカブトガニだろう。子どものころに読んだ学習まんがや科学雑誌では、たいていこのふたつが紹介されていた。とくにカブトガニは日本近海にも生息しているとのことで、その日本的な和名のせいもあって子どもながらに身近に感じていたものだ。 それで最近、調べていたわけでもないのにある本で、たまたまカブトガニについて解説してあるページを目にした。解説によるとカブトガニは、カニやエビの仲間でもなんでもなく

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          努力の量を大幅に上回る結果。

          以前、ある芸人さんがインタビューで、こんなことをおっしゃっていた。 若いころ、自分はポルシェに乗りたいと思っていた。がんがん働いて、どんどん売れて、いつかは自分もポルシェを買ってやるんだと夢見ていた。そして数年後、実際にポルシェを買うことができた。しかしそれは、なにもうれしくないものだった。「これだけ働いてるんだから、そりゃポルシェくらい買えるよ」としか思えなかった。朝から晩まで働きづめの日々が、もう何年も続いていたのだ。ポルシェを乗り回す時間もないほどに。 ……そのイン

          努力の量を大幅に上回る結果。

          迷うことと惑うことは違うんです。

          40歳になったときの自分は、どんなことを考えていただろう。 ひとつ明確に憶えているのは、『嫌われる勇気』を書けたことだ。正確には39歳の夏に書き上げたのだけど、発売されたのは40歳を過ぎた冬。30代のうちにこれが書けて、40歳の年にこれが出せてほんとうによかった。と当時から思っていた。 そして40代になれば体力が落ちてくるだろう、と思っていた。何日もの徹夜をきつく感じるようになり、泥酔するまで飲まずとも二日酔いに悩まされるようになったのが37歳。だったら40代は坂道を転が

          迷うことと惑うことは違うんです。

          あたたかい、をつくること。

          こうして毎日書いていると、かならず毎年この日がやってくる。 触れないままに書くのも違う気がするし、必要以上の深刻さで書くのもまた違う気がする。3月11日は、ぼくにとっていつも「なにを書けばいいんだろう」の日だ。2011年のあの日、自分がなにをしていたかはよく憶えている。なにを見て、なにを思ったかも憶えている。ただそれをどこまで書くべきなのか、書く必要があるのかはよくわからない。憶えている、というそれだけでじゅうぶんのような気もする。 関東大震災の起きた9月1日は現在、「防

          あたたかい、をつくること。

          偉そうな人はなぜ偉そうなのか。

          無意識に出てくることばは、意外な真理を含んでいたりする。 最近それを強く感じるのは、「偉そう」ということばである。だれかの態度を見て「けっ、偉そうにしやがって」と思う。ソーシャルメディア上でのふるまいを見て「なんだ、偉そうに」と思う。じつは本日もある人から「なんであの人はあんなに偉そうにしてるの?」と訊かれた。うん、その気持ちはよくわかる。偉そうだ。 偉そう、という直感の背後には「偉くないのに」がある。もしもほんとうに偉い人(たとえば能力にすぐれた人)が不遜な態度をとって

          偉そうな人はなぜ偉そうなのか。

          行列のできるパン屋さんとラーメン屋さん。

          自宅のちかくに、あたらしいパン屋さんがオープンした。 パン屋さんにはめずらしく、朝はやっていない。昼の時間帯に開店して、いつもかなりの行列ができている。老、若、男、女。いろんな人たちが寒風に身を縮ませながら店が開くのを待っている。たぶん、日本中の人気のパン屋さんに見られる光景なのだろう。 パンはしばしば、ごはん(白米)と比較される。しかしながら行列のできるお米屋さんというのは聞いたことがなく、あったとしても行列のできるおにぎり屋さんだろう。ふつう日本では、家庭でごはんを炊

          行列のできるパン屋さんとラーメン屋さん。

          やる気はどこから生まれるのか。

          やる気スイッチ、と呼ばれるものがありますよね。 やる気が出ない。足りていないどころの話ではなく、出力がゼロである。出力がゼロということはすなわち、電源が落ちている。ああ、だれか。やさしいだれか。どうかわたしの「やる気スイッチ」を押してくれまいか。 ……と、まあそういう意味で使われることばです。もちろん人間は電動式の機械ではなく、心や脳のどこかにスイッチを隠し持つ存在ではありません。そして「やる気スイッチ」なることばが一般化したのも、おそらくせいぜいこの20年くらいのことで

          やる気はどこから生まれるのか。

          雑炊を雑炊で締める。

          雑に炊いたもの、と書いて「雑炊」と読む。 雑になにを炊くのか。米、わずかながらの野菜、できることなら溶き卵、である。とはいえ雑炊に決まったレシピはなく、溶き卵のない雑炊もありえるし、大根の葉っぱを入れた雑炊も、たくわんを入れた雑炊もありえる。鍋の残りに米を投入しただけ、というのもすばらしい雑炊の姿だ。 雑炊の仲間に、おかゆという食べものがある。たくさんの水で米を炊くところまでは雑炊と同じだ。ただしおかゆは、具となる野菜や卵を一緒に煮込むことはしない。米は米として純白のまま

          雑炊を雑炊で締める。

          姿勢を矯正する場所は。

          ふとした思いつきで、整体に通いはじめた。 そろそろ疲れがたまっているのかもしれないな。といった程度の、さしたる自覚症状のないままの、気まぐれの通院である。整体師はいかにも大袈裟に首や肩や腰やの不調、または歪みを指摘し、ぐいぐいに揉みほぐし、宿題と称してさまざまな(日常生活のなかでやるべき)ストレッチを指導し、仕方がないから気がついたときに言われたように身体を動かしている。 何年も前、姿勢矯正サロンに通ったときもそうだった。施術そのものは1時間程度。長年にわたって曲げ育てて

          姿勢を矯正する場所は。

          ひさしぶりの「きょう飲みませんか?」

          昨日、友人に呼ばれて飲みに行くことになった。 前日や前々日の誘いだったなら、断らざるをえなかった。けれどもきのうはちょうど予定が空いており、へえへえ行きましょう行きましょう、と飲みに出かけた。会社近くのバーで待ち合わせ、何時間もそこで話し込み、時計が12時をまわるところで新宿までラーメンを食べに出かけ、食べて別れた。 そういう飲みかたをするのは、ひさしぶりのことだった。当日の夕方にいきなり呼び出されることも、それにほいほいついて行くことも、締めのラーメンを食べて帰ることも

          ひさしぶりの「きょう飲みませんか?」

          同業者たちへの自然な敬意を。

          漫画家さんは、お互いのことを「先生」と呼ぶ。 手塚先生、赤塚先生、萩尾先生、みたいな神さまたちのことはもちろんのこと、ベテランの漫画家さんが若手の漫画家さんを呼ぶときにも、公の場では「○○先生」とつける。ソーシャルメディア上で、そのやりとりをよく見かける。 小説家が互いに「先生」をつけて呼ぶ姿は、ほぼ見かけない。よほどに私淑しているときにはそう呼ぶのかもしれないけれど、うーん。たとえば大学に籍を置く文芸評論家の方々はかろうじて「先生」呼びされるのだろうか。とはいえそれは教

          同業者たちへの自然な敬意を。

          家に帰ってワッサンを食べよう。

          年齢って、ふしぎなものだよなあ。 たとえば自分が小学生や中学生時代に活躍していたアイドル。それは歌手でもいいし、役者さんでもいいし、甲子園のヒーローでもいい。彼らや彼女らのなかには、いまも表舞台で活躍されている方が当然いる。たくさんいる。で、芸能ニュースみたいなやつでその方々の近況が報じられると、現在の年齢が書いてある。 なんだ、めちゃくちゃ同世代じゃん。 そうびっくりする自分がいる。なんか当時は、すっげえお兄さんやお姉さんに感じていたのに、いまになってみると同じ50代

          家に帰ってワッサンを食べよう。

          AIが人間の脳を超えたとしても。

          小学生のころ、究極のロボットについて考えていた。 たとえば鉄腕アトム。あるいは機動戦士ガンダム。そしてみんな大好きドラえもん。これらはみんな原子力、つまり核エネルギーによって動いているとされていた(東日本大震災を経た現在、ドラえもんの動力源については不明扱いになっているそうだ)。当時、子ども向け科学雑誌や学習まんがでは、原油資源があと数十年で枯渇すると危機感を煽りつつ、原子力のことをほとんど無限のエネルギー源のように称揚していた。それだからこそアトムもガンダムも強いのだ、ガ

          AIが人間の脳を超えたとしても。