やあ、やあ、やあ。

やっと少し、心が落ち着いた。

心がざわつくとぼくは、簡単に高い熱を出してしまう。きのうは朝から熱を出し、解熱剤を飲んでもそれはまったく収まる様子もなく、結果きのうの夜はたのしみにしていた「ほぼ日の学校」をお休みさせていただいた。ふかふかのベッドでぐっすりと眠り、目が覚めると熱は引いていた。いまぼくの心は、きょうのお天気みたいに晴れやかだ。

きのうひさしぶりに、そろそろnoteの毎日更新をやめようかと思った。

最近noteはたくさんの人が書いていて、あたらしいメディアとして定着してきた感がある。「ブログを書く」ではなく「noteを書く」が、ことばとしても定着しつつある。これを実現した加藤さんや深津さん、ピースオブケイクのエンジニアのみなさんはすごい、と単純に思う。

けれども一方で、noteにあふれる「役立つ記事」や「かしこい記事」を見ていると、自分のとりとめもない文章がひどく場違いなもののように思えてきて、これはもっとひっそりと、別の場所で書くべきものかもしれないと思う機会が増えてきた。ぼくはこれを書くことによって得をしようとも思っていないし、読む人に得をさせようとも思っていない。ほめられようとかバズろうとかいう思いもなく、つながろうという思いさえたぶん希薄で、ただつらつらと「ここにいるよ」「きょうもいるよ」を毎日書いているだけだ。もしもひと言で言い表すなら「やあ」以上のことは、なにも言っていない気がする。

まあ、けっきょくまだやめることはしないのだけど、そういう気の迷いさえも「こんなふうに迷ったよ」と正直に書く場所が、ぼくにとってのここなのだ。


やあ、ぼくはここにいるよ。

やあ、ぼくはきょうもいるよ。

近しい誰かと交わすことばは、それだけでじゅうぶんなのかもしれない。

教祖猫を噛む。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
2つのマガジンに含まれています