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検索窓が教える、わたしの現在地。

エゴサーチ、ということばがある。

グーグルやツイッターなんかで自分の名前を検索し、その評価を確認する行為だ。以前、とあるトークショー的な場でお話しして驚かれたのだけど、ぼくはほとんどエゴサーチをしない。こころの平穏を保つため、というよりも、自分の無名人っぷりをよく了解し、無名人であることを受け入れ、無名人のわたしにあんまり興味がないからだと、自分では思っている。

きのう、ふと思い立ってグーグルの検索窓に自分の名前を入力した。

当然多くの方々は、「古賀史健って誰だよ?」と思って検索をかけている。

でもなあ。誰かのことを調べるとき、その人を知ろうとするとき、関連キーワードとして「大学」や「学歴」を入れるセンスというか、マインドというか、それはちょっとさみしい気がするなあ。

たとえばぼくが東大卒だったら「ほほう、なかなかやるじゃないか」と思うのだろうか。あるいはぼくが名も知らない大学の出身だったら「へっ。しょせんその程度の人間か」と思うのだろうか。それが尊敬や軽蔑の根拠になるのだろうか。


まあ、こういうキーワードで調べられているうちは、うだつの上がらない、どこの馬の骨とも知らない男だということなんだろう。

かろうじて「嫌われる勇気」ってことばが入っているけど、もっともっとたくさんの書名と一緒に調べられるようなライターになんなきゃなあ。そういう本をつくっていかなきゃなあ。