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スーパースターを見上げるとき。

先週、ジョン・レノンの誕生日を知らせるツイートを見た。

1940年生まれ。生きていたら78歳なのだ、ジョン・レノンは。

わりと多くの人がそうなんじゃないかとは思うのだけど、ジョン・レノンの40歳という享年は、同時代をちゃんと生きていない(ぼくはその訃報を通じてジョン・レノンの存在を知った世代だ)ぼくにとっても、なんだかおおきな重しだった。自分が40歳になったとき、最初に思ったのは「不惑かあ」でも「40代かあ」でもなく、ただただ彼のことだった。

いま、ぼくらは楽曲や音声、写真、映像、テキスト、あるいは自筆のイラストなどを通じて、さまざまなジョン・レノンに触れることができる。かっこいいなあと思うものもあれば、なんて人間くさいひとなんだと笑ったり呆れたりするものもあるのだけど、少年や青年はもちろんのこと、中年から老人までぜんぶを生ききったような錯覚を、彼は見る者に抱かせる。軽井沢のホテルやカフェで見かける主夫時代の写真に流れる空気って、やっぱりおじいちゃんだもの。

それでね。

40歳になったときにぼくは、ジョン・レノンが生きた40年と自分のこれまでとを比べて、その薄っぺらさに心底がっかりしたのだけど、たぶん言われるわけじゃないですか。「ジョン・レノンと比べるなよ」って。この対象は別にイチローでもアインシュタインでもバラク・オバマでも誰でもいいんですけど。もう、比べること自体がおこがましいよ、相手を誰だと思ってんだよ、おのれを何様だと思ってんだよ、って。

でも、ぼくは思うんです。

「比べろよ」って。

スーパースターを、ただの「お星さま」として見上げることもいいけれど、せっかくだったら、そのお星さまと自分とのあいだに横たわる距離を、一度正確に測ってみようよ。「はてしなく遠い」とかのことばで片づけてるその距離を、どんぐらい遠いのか測ってみようよ。

その、メートル法みたいに具体的な想像力を持つことがほんとうの尊敬につながるし、自分の知性を育んでいくのだと思うんです。


それにしてもジョン・レノンが生きていたら、どんな78歳だったのかなあ。