見出し画像

いつかの夏の、天神の屋台で。

高校3年の、たしか夏ごろの話である。

ぼくはサッカー部だった。団塊ジュニア世代であり、キャプテン翼世代でもあるぼくらのサッカー部は、100名を超える部員がいた。そして、スクールウォーズ世代でもあったせいか、監督は日常的に暴力を振るう人だった。

とはいえ当時、教師による暴力はふつうといえばふつうのことで、ぼくらは彼を積極的に好いてはいなかったものの、極度に怖がったり、心底嫌ったりしているわけではなかった。

ある日の練習後、ぼくと後輩のOが呼び出された。またなにか怒られるのかと思っていたら「屋台に行くぞ」と言う。「えっ?」。ぼくとOは顔を見合わせる。

「……メシっすか?」

不意を突かれると人は、聞くまでもないほどあたりまえの質問をするものである。監督は答えた。

「おごってやるけん、さっさと着替えてこい」

部室に戻ってみんなに「なんか、Oと一緒に屋台に連れて行かれるらしい」と話す。蜂の巣をつついたような騒ぎとは、たぶんあの部室のようなさまを指すのだろう。みんな「なんやなんやなんや」「やばいやばいやばい」と、蜂の羽音にも似た音を口走り、狭い部室を歩きまわる。


監督とOと3人、天神の屋台に行った。

「おう、大将。ひさしぶり」

落語のセリフを暗唱するかのように監督が大将に声をかける。大将のリアクションは微妙だ。そりゃそうだろう。坊主頭の大柄なおじさん(監督)が、制服姿の男子高校生を2人連れてやってきたのだ。

「好きなもの頼めよ」

言われたぼくとOは、とりあえずラーメンを注文した。酒も(さすがにこの場では)飲めないし、どんな食べものがあるのかもわからないし、値段もわからないし、ラーメン以外の選択肢はなかった。

「じゃあ、おれはいつものアレ頼もうかな」

監督のことばに、大将がきょとん、とする。

「いつも……なんでしたっけ?」

「ほら、あの、干物の……」

もごもごする監督。ぼくとOは、カウンターの下でお互いの太ももをつねり合い、必死に笑うのを我慢する。なんの罰ゲームなんだ、これは。


やがて大将がぼくらに酒を飲ませようとしたり、その屋台が高校野球賭博、および高校サッカー賭博の胴元になっていることが露呈してしまったり、しかもどうやらうちの監督、自分のチーム以外の高校に賭けていたり、ほかにも時効とはいえ書けない話もいろいろあったのだけれど、けっきょくのところ、監督がぼくらを屋台に連れて行った理由はわからずじまいだった。


翌日、遠征に向かう列車のなかで、ぼくとOはみんなを集めて大航海から帰ってきた探検家のように前夜の屋台を語った。みんな、大笑いしながらぼくらの話に目を輝かせた。


いったい、あれはなんだったんだろう。

みんなに話して聞かせた列車のまぶしい光景も含めて、なんだか夢のなかのような思い出だ。でも、ぼくらは屋台に行ったのだ。あれはほんとうに起こった夜なのだ。

たぶん、いまのぼくはもう、あのころの監督より年上になっちゃったんだろうなあ。