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昼飯をめぐるリズム・アンド・ブルース。

まったく人間ってのは浅ましい生きもので。

頻度でいうとどれくらいでしょうか。週に一度くらいかなあ、二度あるのかなあ。きょうなんかはまさにそれなんですけど、朝からずっと「きょうのお昼、なに食べよう?」しか考えられない日があります。

一瞬あたまに浮かんだラーメン屋さん(喜楽)は、本日休業でした。こうなるともう、いまさらハンバーガーとかサンドイッチとかの「ランチ」には引き返せません。ラーメンや大衆中華を中心とした「昼飯」で次善策を考えます。だとすれば、あそこかなあ。でもちょっと遠いし、この時間だと並んでるだろうなあ。かといってあんまり遅くなりすぎると、面倒くさくなって出前に頼っちゃうよなあ。それはもうイヤだ。まあ、暑そうだけどあそこまで歩くか。


って、こういう時間は「たのしい時間」なのでしょうか。

仕事中にごはんのことばかり考えて、さぞかしたのしいでしょうねえ。まったく呑気なものだねえ。と思われるかもしれませんが、正直ぼくにとっては苦痛でしかありません。

たとえばうちの犬って、ほとんどドッグフードしか食べたことないんですよ。人間の食べものをあげたことはないし、犬用のおやつもほとんどあげていない。それでもまあ、「浅ましい」を通り越して、「勇ましい」ほどの勢いで同じドッグフードを食べています。一般的な感覚からいうと「毎日毎回同じものしか食べられないなんてかわいそうだなあ」なんだけど、ときどきこいつのほうが幸せなのかも、と思うことがあるんですよね。

つまりですね、いまぼくはこれを書き終えてから亜寿加ってラーメン屋さんに行こうとしています。星の数ほどもあるだろう昼飯候補のなかから、亜寿加の排骨坦々麺を選択したわけです。でも、きょうほんとに食べたかったのは喜楽のワンタン麺なんですね。ドラフトでいえば外れ一位ですよ、きょうの亜寿加は。大好きなお店だけど、きょうに限っては消極的選択ですよ。

ああ、なんとおそろしいことでしょう。ぼくたちは、たとえそれが消極的な、やむにやまれぬ消去法であったとしても、なにかを選ばなければ昼飯のひとつさえ満足に食べることができないのです。選んでいないようで、日々の刻々、人生のすべてが「わたしの選んだこと」なのです。


いい時間になりました。

もう並ばずに入れるでしょう。昼飯、行ってきます。