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ポケットのよろこび。

この感動を忘れないようにしたい。

最寄り駅の改札をさっとくぐり、ホームへと続くエスカレーターに乗り込むときにぼくは、つよくそう思った。いったいなにに感動したのか?

ポケットである。

Suica の入ったキーケースを上着のポケットにしまう際、ぼくは心の底から上着サイコー、と思った。ポケット最高ー、と思った。ふつうに上着を羽織る季節になったおかげで、ポケットという格納庫が倍に増えたこと。それがもう、うれしくてたまらなかったのである。

夏を前にするとぼくは、毎年ふたつの戦慄をおぼえる。

ひとつは、メタボリックな体型を隠しきれない季節がやってくることへの恐怖だ。ジャケットやコートはおろか、セーターもスウェットも、なんなら長袖シャツを着ることさえかなわない。体型をそのままなぞるようなTシャツやポロシャツを着て、街を歩かねばならぬ。人と会わねばならぬ。恥を忍ばねばならぬ。それはもう、「そんなこと、ほんとうに可能なのか? おれはその恥辱に耐えられるのか?」と訝しむほどおそろしい話だ。

もうひとつの戦慄は、ポケットである。上半身がTシャツ一枚になるということは、いま(冬のおわりから春にかけて)上着のポケットに入れている鍵や Suica やスマホやガムや飴、はたまたそのレシートや包み紙は、いったいどこに入れればいいのだろう。まさかこれをぜんぶジーンズの前ポケ&尻ポケに格納するのだろうか。そんなパンパンの腰回りで、ぼくは街をそぞろ歩くのだろうか。あの人や別のあの人に会い、尻にごつごつした違和感をおぼえながら打ち合わせなどをするのだろうか。そんな尻でおれは、リラックスできるのだろうか。


いずれの恐怖も、実際に夏がやってくればどうってことはなくなる。メタボリックな胴まわりも笑わば笑えの精神で生きていけるし、上着のポケットに入っていた雑多なものどもも、うまく整理されジーンズの前ポケと尻ポケにおさまっている。

とはいえ。けれどもだけどだったとしても。

やっぱり上着があり、随意にものを出し入れできるおおきめのポケットがあるのは便利でしあわせなことだし、その理屈でいくと、筋トレや食事制限を通じてすてきな細マッチョになったらたぶん、毎日がたのしくなるのだろうな、と思う。

来年の夏には、かっこよくTシャツ着たいな。というかもう、無駄な戦慄はしたくないな。そして開きなおることももう、したくないな。