あのしあわせな時間はなんだったんだろう。

「まーた工事してますよ。いやになっちゃいますねえ」

乗車して目的地を告げ、しばらく走ったところでタクシー運転手さんが語りかけてくる。ああ、そうですねえ。スマートフォンに目を落としながらぼくは、気のない返事を絞り出す。数日前の出来事だ。

「ヤクルト、13連敗ですってよ。こりゃ監督交代でしょ」

運転手さんが次に投げかけたことばにもぼくは「はー、そんなに」なんて声しか返せない。渋谷の再開発、トランプ大統領来日による交通規制、タピオカミルクティー、カーナビゲーションシステム。いろんな話題を振られながらぼくは、いまいちどれにも乗ることができない。

運転手のおじさんはきっと、ぼくの琴線を探している。乗ってくる話題を探し、たくさんの話を振ってくる。取材の機会が多いぼくに、その気持ちは痛いほどよくわかるし、なんとか応えてあげたい。普段のぼくだったら、ほぼ間違いなく最初から食いつく。けれどもその日は、どうしても乗ることができなかった。


「おれの琴線って、どこにあるんだろう?」


つまり、ほんとうのおれはどんな話題を振られたら心底うれしいんだろう。その日のぼくは、ほとんどはじめてそんなことを考えていた。やっぱり音楽かなあ。70年代のスワンプロックとか、かなあ。いや、黒澤明が大好きな運転手さんだったら、おもしろいのかもなあ。カート・ヴォネガットの話をしてみたり、最近読んだ本の話をしたり、そういうのはうれしいだろうなあ。考えに考えてたどり着く結論は、ひとつだ。


「どれも、遠いなあ」


かぎられた時間のなかでしか話さない初対面の人と「そこ」まで行きつくには、あまりにも遠いなあ。とても行きつくとは思えないなあ。



きょうから「ほぼ日」で、去年の12月に出かけたネパールの旅についての連載がはじまった。シャラド・ライさん、幡野広志さん、田中泰延さん、浅生鴨さん、小池花恵さん、山田英季さん、永田泰大さん。数えてみれば、大勢の仲間たちとぼくは、ネパールに出かけた。

ネパールでぼくらは、たくさんの話をした。スワンプロックやヴォネガットの話なんて、なんにもしていない。ほとんどの時間、思い出せないくらいにどうでもいい、じつにくだらないおしゃべりに明け暮れた。あのしあわせな時間はなんだったんだろう。予告として並べられた写真やことばを追いかけながら、ずっと考えている。

そして心密かに、次の旅について考えはじめている。

出る釘は浮かれる。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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