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みんなも大事、ひとりも大事。

最近あのひと見ないなあ、というひとがいる。

タレントさん、スポーツ選手、文化人に、クリエイター。いろんな分野に「最近あのひと見ないなあ」のひとがいる。当たり前の話として、そのひとたちは「いなくなった」わけではない。どこかにいて、日々を暮らしている。きょうというこの日だって、朝ごはんを食べ、昼ごはんも食べ、大だの小だのの用を足し、暑いの寒いの言っているだろう。ぼくらがきょうを生きているように、あのひとだって同じきょうを生きている。


「最近あのひと見ないなあ」の多くは、あのひとがメディアに出ていないだけだったり、そもそも自分がメディアに触れていないだけだったりする。「おれは見ていない」というだけの話で、あのひとが「いない」わけではない。

そしておもしろいのは、そんなことを言ってるこの「おれ」も、「最近あのひと見ないなあ」になっているのだ。見るひとから見れば。

何年も会っていない友人、SNSでのフォローを外しちゃったひと、仕事上の接点がなくなっちゃったひと。そういうひとから見れば、ぼくも「最近見ないなあ」なんだし「いまごろ、なにしてるんだろうね」なのだ。

とくにぼくの場合、ひとつの本に集中しているときは周囲との接触がどんどん少なくなるので「最近見ないひと」になる確率が高い。


でも、きっとそういう潜伏期間のような時間を経てこそ、なにかが生まれるのだし、そのひとは幸せなんじゃないかと思う。

いつもみんなの前に「いる」ことは、集団のなかでの機能ばかりを演じさせ、結果的にそのひとから「わたし」を失わせているんじゃないか。相づちではないことばを、愛想笑いではない表情を、リアクションではないアクションを、ぼくらはひとりの孤独のなかで育てていくのではないか。

「みんな」の一員でいるも大事だけど、それと同じくらい「ひとり」も大事だと思うんですよね。

読書がおもしろいのは、本を閉じるそのときまで「ひとり」になれるからかもしれません。