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ほぼ日の學校と、ぼくの直感。

今年最初の投稿だからといって、年頭の抱負を述べる必要はない。

むしろ、正月2日目にして冷たいおせちに飽いてしまったぼくのように、そこかしこで語られる年頭の抱負——大言壮語とも言う——に飽いてしまっているのが、多くの人の実感する1月4日なのかもしれない。しかもわれらが株式会社バトンズは、明日(1月5日)がいちおうの創業記念日で、年頭の抱負的なものを述べるのは明日に回したほうがいいように思われる。

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2021年への年越しは、「ほぼ日の學校」で迎えた。今年の4月からあらたに開校する「ほぼ日の學校」の、新年発表会の場にお呼ばれしたのだ。なんとまあ、1月1日の午前01時、つまり「1101」の日の発表会である。

くわしくは上の動画を、そして下の「絵本」を見ていただきたいのだけれども、ほぼ日という会社が、あるいはメディアが、大きなターニングポイントを迎えようとしていることを、ぼくはびんびんに感じた。

あらたに動画アプリとなって開校するという「ほぼ日の學校」。ぼくはこれを、「ほぼ日が学校をつくるんだ!」と考えるよりも、「ほぼ日がテレビ局をつくるんだ!」と考えたほうが、より事の本質を捉えられるような気がしている。

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つまり、活字や写真による「ほぼ日刊イトイ新聞」とはまったく別に、動画を中心とした「ほぼ日刊イトイテレビ」が開局する。そしてそのチャンネルのテーマが「学び」であり、「學校」であると。新聞社による、テレビ局の開局。映像の世紀の幕開け。こじつけが過ぎるとはいえ、これはまったく戦後のメディア史そのものだ。

これまでシェイクスピアや万葉集などの古典を扱ってきた「ほぼ日の学校」は、いわば「ほぼ日刊イトイ新聞」の日曜文化面だったのだろう。それがこの4月に「新聞」の枠から飛び出し、あらたなエンターテインメントもふんだんに採り入れながら「学び」のテレビ局をスマホ上に開局する。そして戦後のテレビが新聞をはるかに凌駕する一大メディアになっていったように、「ほぼ日の學校」もまた、「ほぼ日刊イトイ新聞」を凌駕するメディアに育っていくことが期待されている。

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まあ、これを「インターネットテレビ」みたいな言葉にしちゃうとどうしようもなく古くさく感じられるものだし、テレビの比喩が適当なのかどうかもわからない。それでも創刊から23年目を迎えるほぼ日刊イトイ「新聞」が、ここでほぼ日刊イトイ「テレビ」的なものを起ち上げる事実は、ほぼ日という会社にとっても、あるいはウェブ上に原稿を書いて未来永劫メシを食おうとしているライター諸氏にとっても、けっこうなターニングポイントじゃないかと思うのだ。

……糸井さん、河野さん、ほぼ日のみなさん、まったくピント外れなことを言ってたらすみません。明日は自分の会社の話をします。