上方比較と下方比較。

むかしむかし、心理学の本をつくっていたときのこと。

人間はどうしても、おのれと他者とを比べてしまう。「人と自分を比べていないで、自分らしく生きなさい」というお説教のことばが正しいことは知りながら、やっぱりどこか比べてしまう。そしておのれと他者とを引き比べるにあたって、そこにはおおきく「上方比較」と「下方比較」というふたつの傾向があるのだと心理学者の方に教えていただいた。

上方比較とは、自分よりも(さまざまな意味で)上にいる人を見て「すげえなあ、おれもあんなになりたいなあ」と焦がれる状態を指す。一方の下方比較とは、自分よりも下にいる人を見て「あいつらに比べれば、おれもマシだよな」と安心し、自尊心を高める状態を指す。ぼくの記憶によると、途上国の人びとは全般的に下方比較を好む傾向があり、それゆえ上昇志向につながらず、経済的停滞を招いてしまう、という研究もなされていたはずだ。

と、こうやってふたつを並べると、どう考えても悪役は下方比較で、健やかな成長をめざす人はみな上方比較をするべきだ、と思われるだろう。

けれども問題はそう単純なものではなく、上方比較には上方比較で、おおきな落とし穴がある。

あたりまえのこととして考えたとき、上方比較はつらいものだ。自分よりもすぐれた人を仰ぎ見て、おのれのダメさ加減と比較して「ああ、おれはまだまだ阿呆助だ」と打ちひしがれていれば当然、自尊心は引き下げられる。自尊心を引き上げることがナチュラルで生理的な願望だとした場合、人びとが上方比較を求める理由がどこにあるのか、よくわからなくなる。健全な野心を持ち、向上心を持ち、そのために必要な鍛錬を続けられる人など、そうそういるものではない。

それではどうして上方比較を好む人が一定数いるかというと、上を見ながら彼ら・彼女らは「自分もそっち側の人間だ」と思うことによって、自尊心を高めていくのである。偉人・賢人・ビリオネア、なんでもいいけど自分よりも上にいるであろう人びとを観察し、無理やりにでも「自分との共通点」を探し出し、その薄弱な根拠をもっておのれを「そっち側の人間」なのだと考える。それが上方比較の本質なのだ。


ひるがえって現在そこそこの人気を集めているウェブメディアを考えると、そのほとんどは誤った上方比較か、いかにも筋の悪い下方比較をベースに成り立っている。いずれも「いまのおれ」を肯定するための装置でしかなく、たとえば犬猿の仲だと思われる「意識高い系」と「ネトウヨ」も、こころの平安を求める手段が違うだけで、いまのままでありのままのおれを肯定せんとする態度はほとんど変わらないのだ。



えー。「同じ穴の狢(むじな)」ということわざをもとに、なにか書こうとしたのですが、たとえがよくなかったような気がしてきました。ま、ぼくがいつも思っているのは「目線が上を向いていればそれでいい、ってわけじゃないよね」ということです。

郷に入ってはひろみに従え。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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