わたしがライターである、その理由。

ぼくの肩書きはライターだ。たぶんずっと、そうだと思う。

作家にはならないし、コラムニストにもならない。なれねえよ、というご指摘を棚に上げてその理由を述べるならば、ぼくには「言いたいこと」があんまりないからだ。作家にあるべき表現欲らしきものが、どこにも見当たらない。あるとすればそれは「ここに、こんなおもしろいひとがいるよ」や、「ぼくはこれのこんなところを、こんなふうにおもしろいと思ったよ」の、いわば紹介欲みたいなものだけで、立ち位置としてはかなり編集者に近い。編集者との違いがあるとすれば、自分で書くかどうか、原稿のクオリティを自分ひとりで担保できるかどうか、だけだと思う。

なんでいまさらそんなことを書きたくなったかというと、うーん。

たとえばなにか、文春砲的な事件が起こったとする。たっくさんのひとたちが「けしからんっ!」と攻撃する。非難する。糾弾し、責め咎める。

さて。そこにあるのは「こいつはこんなにけしからん奴なのだ」という、巨悪を叩く意識なのだろうか。もしかしたらそれは「わたしは正義である」を表明せんがための、都合のよい生け贄ではないのだろうか。ひとはそんなに、自分が正義であることを表明したいのだろうか。


ぼくは、自分が正義なのか悪なのかについてあんまり関心がないし、もちろん悪じゃないと思いたいけど、わざわざ「わたしは正義である」と表明しようとは思わないなあ。なんだかもっと、自分という人間に関心が薄い気がする。

ということでぼくは、この先ずっとライターなんだろうなあ、と思うのです。

壁に耳ありジョージとメアリー。
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古賀史健

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