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ポテトサラダをつくらなきゃ。

これは謙遜とか卑下とかではなく、厳然たる事実として。

最近、自分の書く note がおもしろくないなあ、と思っている。書くことがおもしろくないのではなく、書かれたものがおもしろくない。明るさがないというか、書き終えたときの「よしっ!」という実感がないまま公開ボタンを押している。

理由はわりと明確で、考えている量が少ないからだ。日常のなかでの考える時間が、わかりやすく減っている。じゃあ、毎日なにも考えずぼんやり過ごしているかというとそんなことはなくって、執筆中の本のことばかり考えている。あたまの大半がそれで占有され、余白がほとんどない。余白を見つけてはそこにも、本についての考えをぎゅうぎゅう押し込んでいる。

けれども、おもしろいことや突破口めいたものとはだいたい、余白から生まれるものだ。最近の居酒屋や小料理屋さんでポテトサラダが個性的な発展を遂げているのも、あれが余白の料理だからだ。メインディッシュではなかなか冒険できないし、おもしろも浮かびづらい。いまのぼくはメインの煮込み料理にかかりきりになり、風変わりなポテトサラダを考える余裕が失われているのだろう。


ところでポテトサラダとは、ほんとうにサラダなのだろうか。

純然たる炭水化物であるじゃがいもに、大量のマヨネーズを加えてつくるポテトサラダ。最近ではベーコンやチーズを混ぜ込むことも一般的になってきた。ツナ、オリーブ、鶏ささみなどの入ったポテトサラダもよく見かける。芋を米に置き換えてみたら、たいへんなものを食っていることが理解できるはずだ。

20年近く前、はじめてスモークチーズといぶりがっこが入ったポテトサラダを食べたときは感動したなあ。あれはたしか、神楽坂の焼酎バーだった。そのお店で教えてもらったいくつかのレシピは、いまでは古賀家の定番料理になっている。

いちばんのおすすめは、カレーにじゃがいもを入れる代わりに、れんこんを入れること。2日目、3日目でも煮崩れすることなく、また煮込めば煮込むほどおいしくなる一品です。これ、常識なのかな。

とりあえずいまのぼくに必要なのは、ポテトサラダ的ななにかだ。