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毒にも薬にもならぬ日用品。

ぼくは毎回ここの投稿をフェイスブックでシェアしている。

ありがたいのは、フェイスブックに「去年の今日、あなたはこんな投稿をしてましたよ」「2年前の今日、あなたはこんなでしたよ」と教えてくれる機能があることだ。おかげで去年の今日には人生相談についての話を書き、2年前の今日にはロックンロールについての話を書いていたことを知れた。

で、ほんとは今日「忙しいなあ」みたいな話を書こうかと思ったのだけど、来年や再来年の自分が「2017年の今日、おれはこんなこと書いてたのか」と知るだろうことを想像すると、なんだかせつない。別の話を書こう。


たいしたものだなあ、と思う。

今年に入ってから青年失業家・田中泰延さんが連載をはじめられた「ひろのぶ雑記」の話だ。映画評を除くと、まだ5回の連載でしかないのに、もう毎週水曜日をたのしみにしている自分がいる。週刊ジャンプみたいに続きを待ちこがれるワクワクではなく、「あっ、今日は水曜だ。ラッキー」と、たまたま注文した日替わり定食がチキンカツだったときのようなよろこびが、毎週水曜日にやってきている。

そして「おれ、何月何日に更新された、あの回が好きなんですよ」ではなく、エッセイの総体として「おれ、あの人の『ひろのぶ雑記』が好きなんですよ」と言える自分がいる。

個々のエッセイがおもしろいだけでなく、すでに「ひろのぶ雑記というコンテンツ」ができあがっているわけだ。


ぼくもまあ、週日にずっとこれを書くようになって3年目に突入しているわけだけど、なんというか、特別におもしろい回がバズりまくりました、みたいな場ではなく、なんとなくの惰性で、なんとなくの習慣として、なんとなく読んじゃってる、誰かにとってのそういう場になればいいなあ、と思うんです。

「この指摘は鋭い」とか「必読」とかってコメントとともにシェアされる読みものではなく、毒にも薬にもならない日用品として。