あの人が見ていた。
きょうもまた、岩田聡さんについて書きたい。
きのうの note にも書いたけど、ぼくは岩田聡さんに一度もお目にかかったことがない。こればっかりはもう、運もあるし、縁もあるし、あきらめるしかない。今回本というかたちになって、岩田さんのことばが残されたことをうれしく思ったほうがずっと気持ちのいい話だ。
それでもほんの少しだけ、岩田さんと接点めいたものがあったことを最近教えていただいた。
2年ほど前のあるとき、『岩田さん』の「はじめに」にもそのお名前が登場する、岩田さんの秘書だった方とお目にかかる機会に恵まれた。一緒にいた糸井さんが「この人は『嫌われる勇気』という本を書いた〜」と、ぼくのことを紹介した。元秘書の女性は、「わぁ」とおどろき、その理由を教えてくださった。
岩田さんが『嫌われる勇気』を読んでいたこと。とても気に入って、自分で何冊か購入し、社内の何人かに配っていたこと。「あの本を、書かれたんですねえ」。彼女は、なつかしそうに目を細めた。
どきどきした。
興奮した。
飛び上がるくらいにうれしかった。
本を通じて、会えていたんだと思えた。
でも、何日も経って興奮を反芻するうちに、その思いに少しずつ変化が生じてきた。
おそらく『嫌われる勇気』という本の一般的なイメージは「ベストセラーの自己啓発書」だ。ベストセラーというだけで「けっ」と思う人は多いだろうし、しかも自己啓発書となればさらに「けっ」と思う人は多いだろう。ぼくは自己啓発書じゃないと思っているけれど、本好きな人たちがいちばん敬遠するだろうタイプの本である。
けれども岩田さんは、そういう先入観なしに読み、いいと思い、周囲の方々におすすめしてくれた。それはなんだかすごいことだよなぁ、と思う。ぼくだって「ベストセラーの自己啓発書」は、敬遠しそうだもの。
岩田聡さんという人、そして『岩田さん』という本のもつ魅力は、そういうフラットさにあるような気がしている。
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最近、「本の雑誌」という雑誌の8月号で、作家の重松清さんがぼくについて言及し、ほめてくださっていた(教えてくださったヤンデル先生、どうもありがとうございます)。
よろこぶ気持ちや照れる気持ちよりも先に、やっぱり「すごい人だなぁ」と思った。あれだけのことを成した作家でありながら、ぼくみたいな人間にまで目を配っているのか。それに比べてぼくはいま、どれだけ若い人たちに目を配り、その仕事に拍手を送れているのか。最近の自分をちょっと、反省してしまった。
かっこいい先輩たちを見つけ、かっこいい先輩たちにあこがれる自分でいれば、世界はうんと魅力的な場所になる。なりたいもんね、かっこいい先輩に自分もいつか。