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ずーっとあたためている企画。

長年あたためている企画に、「笑いの教科書」というものがある。

たとえば漫才やコントを見ていて笑う。コメディ映画に笑う。電車で見かけた見知らぬおじさんの言動に笑う。そこで巻き起こる笑いには、どんなからくりが隠されているのか。おもしろいひとは、なぜおもしろいのか。そしてわたしはどうすれば、おもしろいひとになれるのか。

笑いの原理原則から初歩的なテクニックまで、うまく解き明かす本はできないものか。取材相手は、笑いの構造をアカデミックに分析する学者さんでもいいだろうし、お笑い養成所的なところの所長さんでもいいし、両者を組み合わせるのもおもしろそうだ。もう10年以上もむかしから、幾人もの編集者さんには話してきた企画である。そして実際、養成所の所長さん的な立場の方とお話しする機会を設けたことも、そういえばあった。

ところが、いろいろお話しするうちに、「もう一歩、なんかポーンと突きぬけるアイデアが浮かばないと『企画』にならないなあ」と自分であきらめてしまう。結果、いまだ「構想中」の引き出しに入れたまま保温中の企画なのだ。

なぜか。

答えは簡単である。笑いの構造を分析して、「まずはAからはじめ、BとCを組み合わせながら、Fの要素を盛り込むことによって、J的な笑いは巻き起こるのです」的な情報を仕入れ、そのマニュアルどおりに実践してみる自分は、まったくもって「おもしろくない」のだ。

というか、おもしろくなりたいなぁと思い、おもしろくなるための情報を取りに行こうとする時点で、そのひとはもう「おもしろくない」。これはモテたいけれどモテないひとが、口説きのテクニック本を読み込み、ますます性的魅力を喪失していく悲劇と、ほとんど同じ構造である。


もし「笑いの教科書」について画期的なアイデアが浮かんだ、という編集者さんがいらっしゃいましたら、いつでもご連絡ください。ぜひ一緒にやりましょう。もっとも、ぼくを介さずに、ご自身で最高の「笑いの教科書」をつくってくださっても、ぜんぜんかまいません。

ぼくはそれ、ただただ読者として読んでみたいだけなので。