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揚げものと汁もの、そのハーモニー。

あの部屋に住んでいたのだからたぶん、15年くらい前。

ぼんやりテレビを見ていると、日本で活躍する外国人タレントさんが日本食への偏愛を語る、という趣旨の番組が放送されていた。寿司や天ぷら、すき焼きなどのステレオタイプなジャパニーズ・フードではなく、たとえばお好み焼き、たとえば焼き鳥、たとえば牛丼など、日本で生活する人びとならではの「わたしが好きな日本料理」を語る番組だった。

そしてあるアジア系の女性タレントさんが、とんかつへの偏愛を語りはじめた。お肉もおいしい、衣もおいしい、ソースも最高だし、そのソースをかけて食べるキャベツがまた、たまらない。ああ、そうだよねえ、とんかつは最高だよねえ、とにやにや眺めていたところ、「……でもね!」。彼女の表情が突如として一変した。

わたし、かつ丼はほんとうに理解できない。どうしてせっかく揚げたとんかつを、わざわざスープに浸すの? たまごでとじるの? だったら最初から揚げなきゃいいじゃない。かつ丼はべちゃべちゃして、ほんとうに大嫌い!

もちろん日本人でも同じ思いを抱く人は多いのだろうけど、おそらくは大人になってから——つまりは舌ができあがってから——来日し、ひとつひとつの日本食にチャレンジしていったであろう彼女の口から語られるその話は、なるほどそういうふうに映るのか、と自分に染みついた常識の枠を考えさせられるものがあった。


という一連の風景を、映像的というよりは心象的な風景を思い出したのは、きのうの夜に富士そばで、コロッケそばを食べていたときのことである。

コロッケそばは、ほんとうにおいしい。だしをたっぷり吸い込んだ衣も、あまく溶け出すじゃがいもも、普段はあまり組み合わされない七味唐辛子とのハーモニーも、そして完食したあとの満腹感も、すべて最高においしい。

ところが不思議なことに、コロッケそばは立ち食いそばチェーンでしか食すことがかなわず、高級店はもちろんのこと中級店においてさえ、メニューから除外されている。なぜだろう、なぜかしら。

一度、高級とまではいわないまでも「中の上」くらいのお店で、店主渾身のコロッケそばを食べてみたいなあ。いや、すでにそういうお店はあるんだとは思う、きっと。でも、コロッケそばがたとえば山菜そばくらいには市民権を得て、どのお店にも置いてある時代がこないかなあ、と願っているのだ。


ちなみにぼくは山菜そばというものを一度も食べたことがなく、のみならず長年「こんなの誰が食べるんだろ?」と思っていて、個人的な「山菜そば、誰も食べない説」を証明すべく、近所のそば屋でじっと耳をそばだててみたことがある。すると、けっこうな数の人びとが山菜そばを注文し、それを聞く店員さんも(えっ。この人、山菜そばなんだ……)みたいに驚くこともなく、ふつうにオーダーをとっていた。

コロッケそばも、そんなふうになってほしいのだ。