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空腹とストレス。

とりたてて空腹が過ぎるというわけでもないのに、そういう日がある。

朝からずっと「きょうの昼飯、なに食べよう?」という浅ましい煩悩から逃れられない日だ。本日3月28日のぼくはまさにそれで、出社してからひたすら昼飯のことを考え続けている。

積み重ねなのだと思う。

たとえば朝、うすい空腹は感じながらも起床時間の遅延を主たる理由に、なにも食べてこなかった。そして会社に着いてからも、缶コーヒー的な甘みや乳成分の入ったものを口にせず、ブラックコーヒーを飲み続けた。ニュースサイトの端っこに「渋谷のおすすめ絶品ランチ」とか「東京の最新最強ラーメンランキング」とか、そんな攻撃的文言を目にした。ついついクリックし、それらの写真まで目に焼きつけた。ひさしぶりの晴天で、絶好の昼飯散策日和に感じられた。社員から「ランチを食べて帰社します」的なメッセージが届いた。けれども一分一秒を争うくらいの切実さで、その到着を待っている資料(宅配便)があり、オフィスを留守にすることができない。出前を頼もうかと出前系アプリをぬるぬるするも、せっかくの天気だし、やっぱりお店で食べたいよなあ、などと考える。

こうした些事の積み重ね、枝葉にもほどがあるほど端切れな煩悩の総体こそが、空腹の巨木となってぼくを苦しめるのだ。


ここでの空腹、じつはそのまま「ストレス」に置き換えてもまったく同じことが言える。ぼくらがストレスに苦しむとき、それはハムレット的な生か死か、みたいなストレスであることはほとんどなく、取るに足らないストレスの積み重ねが「でっかいストレス」としてのしかかっていることが多い。

ぼくの個人的な経験則でいうと、心配事が4つ重なるともうダメだ。できれば2つまで。せめて3つまでに心配事の数を減らすしか、ストレスから解放される策はない。そして心配事の数を減らすのに必要なのは、あきらめであり、選択である。

できないものはできない。無理なものは無理。いまできるのは、これとこれとこれだけ。そうあきらめることができれば、心はかなり軽くなる。