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ほんとに将来どうするつもりだったの?

だったらお前は大丈夫だ。

その人のことをほとんど知らないのに、たったひとつの共通項を見つけるだけでそう思えてしまうことがある。たとえばぼくの場合だと、ストーン・ローゼズのファンに対してはそう思ってしまうし、ドラマ『フレンズ』のファンについても心が許せてしまう。もう少し規模の小さいところで言うなら、第1回のフジロックに参加していた人、あの場に居合わせた人については、たとえ音楽的な趣味に相当な隔たりがあってもやはり、「だったらお前は大丈夫だ」と思う。

当時ぼくは無職だった。フリーライターではなく、フリーターでもなく、ほんとうに働かない人として、勤め人時代の貯金をわずかながら家に入れつつ実家に寄生していた。

フジロックなる日本初の本格的野外フェスが開催されると知ったとき、要するにウッドストックみたいなやつが日本で開催される、しかもベックやレッチリがやってくると聞いたとき、本格的にお金がなかったぼくは、生まれてはじめて投稿用の原稿をしたためた。『ロッキングオンJAPAN』に投稿し、その副賞としてフジロックのチケットをゲットせしめんと画策したのだ。

中村一義さんの『金字塔』についてなにか書いた。投稿は無事掲載され、ほどなく2日通しチケット(22,000円ぶん)が送られてきた。

思えばあれが、ぼくのライターデビューだったのかもしれない。


深夜バスで東京に向かった。新宿のバスターミナルは、すでにロックロックしい兄ちゃんたちであふれていた。その流れに乗って電車で天神山スキー場に向かう。駅から会場までの劣悪なるアクセス。道中でできた友達。会場での暴力的な盛り上がり。迫りくる台風。防寒どころか宿泊のことすら考えないままTシャツ1枚で出かけたバカボンを襲う、夜の雨と凍え。お前まじ死ぬぞ、おれの車に泊まれ、と声をかけてくれたどこかのお兄ちゃん。2日目の中止が発表され、残念がると同時に抱いた「死なずにすんだ」の安堵感。車中泊させてくれたお兄ちゃんと回った富士五湖と、くやしいくらいの青空。その後しばらく続いた文通。

ほんとはひどいこともたくさんあったはずの「記憶」は徐々に改竄され、うつくしい「思い出」になっていく。


ちょっと前に「意識高い系」ということばが流行ったけれど、当時のぼくは「意識低い系」ですらない、完全な「意識ない系」だった。


10代や20代のどこかで「お前、ほんとに将来どうするつもりだったの?」と聞きたくなるような季節を生きていた人に、ぼくは惹かれるし、心を許すんだよなあ。そしてあの会場にいた人の8割は、しっかり「意識ない系」だった気がするんです。たとえそれが改竄された思い出だったとしても。