見出し画像

ハッピー・バースデー、ミックさん。

元旦から大晦日まで。365日がずっと、誰かのそれであるのだけど。

きょうは、ミック・ジャガーの誕生日なのだそうだ。御年75歳。むかしからトカゲやイグアナに喩えられてきたその特異な相貌は、もはや完全なダイナソーになっているし、なんだったらロック界のキング・オブ・モンスター、ゴジラと呼んでも差し支えがないバケモノだ。

今年45歳になるぼくは、ミック・ジャガーと30歳違いということになる。

なので、シングルの『サティスファクション』はもちろんのこと、たとえば『ギミー・シェルター』も『スティッキー・フィンガーズ』も『メインストリートのならず者』も、ぜんぶ生まれる前のアルバムだ。彼のことを知ったのは80年代の中期、デヴィッド・ボウイとの共作『ダンシング・イン・ザ・ストリート』だった。

そういう世代間ギャップもあったおかげで、ロック少年・古賀史健にとってのミック・ジャガーは、ずぅーっと「クソジジイ」だったと言っていい。

商業主義に走って、緊張感の欠片もないスタジアムロックに明け暮れる、鼻持ちならないクソジジイ。どうせアホみたいに金を持っているくせに、「ロック風なステージ衣装」としてダメージ加工のオーダー服を着てくるクソジジイ。申し訳程度に「現代風アレンジ」を施した、けれども往年のストーンズ節を聴かせるクソジジイ。

70年代後半のパンク以降、あるいはそれよりずっと前から彼は、クソジジイとして便利に使われてきた。ストーンズ的なものを否定すること、ミック・ジャガー的なものを否定することは、「おれらの世代」の正統性を証明する免罪符のようなものだった。おどろくことに彼らローリング・ストーンズの面々は、もう何十年もそういう立場で下からの唾を受け止めてきたのだ。

たぶんその流れがおおきく変わったのは、1993年のソロアルバム『ワンダーリング・スピリット』と、1994年のストーンズ作『ヴードゥー・ラウンジ』の2連発だったと思う。少なくともぼくはこのふたつ(とくに大傑作だったソロ)で完全に打ちのめされ、ようやく膨大な過去作のかっこよさを素直に受け入れられるようになった。

で、思うのだ。いわゆる「老害」というやつを。

ぼくのようなオッサンから見ても、たしかに老害としか言いようのない人はいる。同世代のなかにもそれはいるし、なんならぼくより若くして老害化の傾向を見せている人もいる。もちろんぼく自身、そこに片足を突っ込んでいる可能性は大いにある。だまれ、引っ込め、クソジジイ。あんたはもう、どうしようもなく時代遅れなヤツメウナギなんだよ。と、そんな罵声を浴びるときも近いのかもしれない。いやいやもう、知らないところで浴びてるのかもしれない。


でもなあ。

たとえばこの週末、フジロックに降臨するボブ・ディラン。この秋から最新ワールドツアーを敢行するポール・マッカートニー。現在ヨーロッパツアーを敢行しているローリング・ストーンズ。

こういう、中〜老年期をくぐり抜け、サヴァイヴしたベテランたちのかっこよさは、ちょっととんでもないと思うのだ。なんといってもみんな、本業であるアルバムやライブパフォーマンスによって、「引っ込めクソジジイ」の声を黙らせたのだから。

40代のミック・ジャガーより、70代のミック・ジャガーのほうが断然かっこいい。ぼくもこういうジジイになりたいなあ、と思うのだ。