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ボールと仲良くなるために

中学・高校時代、ぼくはサッカーが下手だった。

球技全般に対する「センス」のようなものが、まるでなかった。

力いっぱい蹴飛ばしても、ボールはぼてぼて転がるばかり。ぼくなんかよりもずっと足の細い同級生が、びっくりするほど力強いボールを蹴っている。練習が終わったあと、ひとりグラウンドに残ってシュート練習をくり返していた。

あるとき、県の選抜に選ばれるくらい上手な先輩に、どうやったら強いボールが蹴れるのか、どんな練習をすればいいのか、率直に訊いてみた。

先輩はひと言、「リフティング500回できるようになれ」と言った。

リフティングとは、サッカー選手が曲芸のようにやってみせる、足のお手玉みたいな、あの遊びめいた練習だ。それを、足の甲だけを使って500回こなせるようになりなさい。筋トレやら走り込みやらシュート練習やらの答えを想定していたぼくにとって、その答えはかなり意外なものだった。

そしてリフティングを、足の甲だけを使ったリフティングを、くる日もくる日も練習した。数ヶ月が経ったころ、「あっ、これなのかも」という感覚がつかめた気がした。

リフティングを続けるために大切なのは、つねにどんな体勢でもボールの中心をとらえる技術だ。その中心さえ蹴ってあげれば、ボールは素直にまっすぐ上に飛ぶ。1センチでも中心を外すと、横やナナメに飛んでいく。

リフティングという遊びのなかで、「足の甲でボールの中心をとらえる感覚」を覚えたぼくは、練習中も試合中も、以前よりは強く、正確にボールを蹴れるようになった。それは脚力とはほとんど関係のない、そして「感覚」として覚える以外にない、ボールと仲良くなるコツだった。


たぶんどんな仕事にも、そしてライターの仕事にも、「ボールの中心をとらえる感覚」みたいなものがあるのだと思う。端から見れば曲芸のような、論理的には説明のむずかしいような、感覚としてしか身につけられないけれども「センス」とも違う、技術と感覚の中間に位置するものがあるはずだ。

「ボールの中心を蹴りなさい」と原則を説かれても、それだけでは体得できない。なにかリフティング的な発明が必要だなあ、それはどこにあるんだろうなあ、とずっと思っている。