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ライフ・ゴーズ・オン。

あなたの人生を変えるホニャララ。

ビジネス書や自己啓発書のサブタイトルに、または帯文に、ものすごく安易につかわれることばだ。ぼくはこういうあいまいで投げっぱなしのことばを苦々しく思っているし、きっと多くの人も同じではないかと思う。読者の抱える悩みを「人生」のひと言に集約しようとする杜撰さ。ただ「変わること」を目的とし、善きことと考える無邪気さ。ここまでおおきなことばでくくっておけば誰かつかまるだろう、という不遜さ。そしてなにより、「こんなもんで変わるわけねえじゃん」という身も蓋もないツッコミ。苦々しく思う要素は、いくらでも挙げられる。


でもなあ、とぼくは考える。

「人生が変わる」って、ほんとのほんとはどういうことなんだろう?


たとえば入学や卒業。就職や転職。結婚や離婚。これらのライフイベントは、わかりやすい人生の節目だ。そこで定まる道は確実にあるのだろうし、節目に際して「人生が変わった」と考えるのは、当然のことのように思える。とはいえ、それは環境の変化であって、「人生を変える」とはけっきょく環境を変えることなのか、との疑問も残る。環境を変えるまでは、人生は変わりえないのかと。

あるいはまた「考えかたが変わる」ことを指して、「人生が変わる」と呼ぶ人もいる。というか、おそらく本のサブタイトルなどにつかわれている「あなたの人生を変える」の大半は、「あなたの考えかたを変える」なのだろう。ただし朝令暮改な日々を生きるぼくたちは、しょっちゅう考えかたを変えている。ラーメンを食べたくて外に出たくせに、スパイスの香りに誘われてカレー屋に入る、なんてことは日常茶飯事だ。「考えかたが変わる」は当たり前のことだともいえる。


そして最近ふと、からだの向きかな、と思った。

環境はまだ、なにも変わっていない。こまごまとした考えがブレることも、これから多々あるだろう。けれど、からだの向きを変えて、見ている先の景色を変えること。目玉を動かすだけではなく、首を動かすだけでもなく、からだの向きそのものをぐるっと変えてしまうこと。それが「人生を変える」の、いちばん最初にある動きではないだろうか。

別にぐるり逆転する必要はない。10°でも20°でも30°でもからだの向きを変えてしまえば、ずっと先にある風景はぜんぜん違ったものになる。そしておおきなライフイベントをこしらえなくても、たとえばきょうこれからだって、からだの向きを変えることはできる。いや、下を向いて歩いているから気づかないだけで、顔を上げて遠くに目を凝らしてみたら、すでに変わっているのかもしれない。からだの向きを、変えているのかもしれない。

今年で45歳になるぼくですけどね。まだまだライフはゴーズオンする予定なので、やっぱり考えるんですよ。ときどき人生なんて単語の行き先を。