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「しらんがな」の声に屈しないために。

いつぞや宣言したとおり、ジムに通いはじめた。

まだまだ2週間、計5回通ったに過ぎない。それでも一応、三日坊主は避けられた。ここは一発、積極的に自分をほめていきたいと思っている。えらいぞ、おれ。よくやってるじゃないか、おれ。

と自賛の道を選ぶのも、人は他人の「何キロ痩せた」や「ジムで運動している」の話について、やたらと冷淡になるからだ。お前がいまさら2キロ痩せようと3キロ痩せようと知ったこっちゃない。そこまでお前に興味がない。みんながお前に興味津々だと思ったら大間違いだ。——と、まあこれほど攻撃的ではないにしても、原則として痩せたの太ったのの話は、内心「しらんがな」のひと言で片づけられるものなのである。

それではなぜ、多くのダイエット話は「しらんがな」に終わるのか。


自己申告の、自分語りだから、である。

たとえばふっくらしていた人が、いかにも痩せたとする。会った瞬間にそれとわかるほど、痩せたとする。そこで「ちょっと痩せた?」と問いかけたところ、「じつは半年前からジムに通ってて」との返事があったとする。この場合は素直に「すごーい!」となるだろう。「どれくらいのペースで通ってるの?」「やっぱり食事も気をつけたりしてる?」など、追加の質問も自然に湧き上がってくるだろう。

ところが多くのダイエッターたちは、見た目にこれといった変化も出ていないうちから「じつは3キロ痩せたんだよね」とか「最近ジムに通ってるんだよね」と、聞かれてもいない自分語りをはじめてしまうのだ。見た目に変化はない。会ってもまったく気づかない。かといって、嘘をついてるわけでもないだろう。なので、出てくることばとしては「へえー」。かぎりなく「しらんがな」に近い「へえー」である。

そういうわけで「だれかにほめてもらうこと」をモチベーションとしながらダイエットに取り組もうとすると、初期段階のうちにつまずきやすい。目に見える結果が出ないことには「痩せた?」なんて言ってもらえないのだし、自分から「痩せたっしょ」なんて自慢しても「しらんがな」になるのだし、結果が出るまでにはそれなりに時間がかかるのだから。


そしてこれは「がんばり」全般に同じことが言えて、世のなかの人というのは、なんらかの結果が出たあとにようやく「すごいね」と言ってくれるのであり、「がんばり」の話を興味深く聞いてもらえるのはそのあとのことだ。結果も出ていないうちからおのれの「がんばり」をアピールされても、心からの「すごいね」にはなりづらく、場合によっては「しらんがな」と片づけられるのである。

というわけで、いまなにかをがんばっている人たちよ。まだ目に見える結果にはつながっていないけれども、がんばっている人たちよ。

いまはじっと、自分で自分をほめておこう。コツコツ描きすすめている自画を、ひっそり自賛しておこう。ぼくもそうしてジム通いを続けるつもりだ。明日もかならず、通うつもりだ。人前で自画自賛するのではなく、自分しかいない場で自画自賛するのだ。自画自賛は、駆け出しの自分に欠かせない、沿道からの声援なのである。