ごはんを食べるか、ガソリンを食べるか。

これも年末ということなのか、人間ドックに行ってきた。

人間ドックのメインイベントといえば、胃カメラである。前日の夕方から絶食し、当日の朝に水を飲むこともせぬまま臨む、年に一度のこんにちは。それが胃カメラである。モニターに映るピンク色の胃袋を眺め、涙とよだれをだらだらたらしながら思い出した。

たぶん、ドラえもんとかスターウォーズとかを見て思ったのだろう。小学生のころ、ぼくは「未来のロボット」について考えをめぐらせることが多かった。気になるのはやはり、動力源だ。クルマみたいに、1日に何回もガソリンを入れなきゃいけないのは、あまりに面倒くさいしもったいない。それにぼくらが小学生のころは、教科書でも子ども向け科学雑誌でも、やたらと「石油資源の枯渇」が叫ばれていた。石油はあと30年分しかない。省エネが大切なんだ。いち早く、新エネルギーを見つけなきゃいけないんだ。そんな危機感ばかりを煽られていた。

で、ぼくは思った。

「ロボットに、ごはんを食べさせりゃいいじゃないか」と。

だってそうだろう。人間は、犬や猫は、ゾウやクジラは、ごはんを食べていきている。人間でいえば、お米やお肉や野菜を食べて生きている。ごはんをエネルギー源としながら、歩いたり、走ったり、野球をしたりしている。ロボットだって、ごはんを食べればいいじゃないか。

しかし、ごはんを食べる生きものの宿命といえば、排泄物である。小学生時代の精神に戻って言い直すなら、うんこである。ごはんを食べて動くロボットは魅力的だけど、毎日うんこをするロボットは嫌だなあ。そこでまた思った。

うんことは、まあなんというか「いらないもの」である。ごはんというかたちで「いるもの=栄養」と「いらないもの」を一緒に食べてしまった結果、「いらないもの」としてのうんこが生まれてしまう。

だったらロボットには、「いるもの」だけを食べさせよう。


そこまで考えて、はたと気づくのだ。

「……それって、ガソリンじゃん!」と。

そうか。クルマだって、ぷりぷりうんこを垂れ流しながら走ったらたいへんだからガソリンという「エネルギーそのもの」だけを食べさせてるんだ。うんこが出ないように走らせているんだ。ああ、それだったら家庭用ロボットも、たぶんガソリンで動かすようになるんだろうなあ。そしてうんこのように排気ガスを漏らすんだろうなあ。


ぼくはいまだに「ごはん」だけを食べて、それをエネルギーに変換しながら、100年近い人生をまっとうする人体の不思議を思うと、頭がくらくらする。ガソリンみたいな「エネルギーそのもの」や「栄養そのもの」ではない、ムダだらけの「ごはん」を食べる生きものであったことに、無上のよろこびを覚える。

効率化や生産性だけを考えて「栄養」だけを食べる人になるのか。それとも、おおきなうんこをすることを前提に、おいしい「ごはん」を食べる人間になるのか。そんな話にもつながるのかもしれない。

郷に入ってはひろみに従え。
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古賀史健

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