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ハウツーではなく、方法でもなく。

そういえばぼくは、ひとつも「方法」を書いていない。

自分が普段書いている note を振り返って、そんなことを思った。つまり、「あたなの文章が劇的におもしろくなる5つのテクニック」だとか「仕事が途切れないフリーランスになる10の習慣」だとか、まあその手の話をひとつも書いていない。そういうコンテンツに一定の需要があること、少なくともぼくが毎日だらだら書いてる個人的な四方山話より広く求められていることはわかっているのだけど、あんまりそういう話はしたくないし、やれと言われてもできないもののほうが多い。

と書くと、「つまり、ハウツー系の話をするのが嫌なんですね」と思われるかもしれない。うん、そう言われればそうなんだけど、そう言い切ってしまうのも、やっぱり少し違うのだ。

安っぽいビジネス書全般を揶揄するとき、わりと簡単に人は「ハウツー本」という言葉を使う。あんなハウツー本を読んだところで、仕事がうまくいくわけじゃないよ、実力つくはずないよ、そんなの読んでるからお前はバカなんだよ、などなど。

とはいえ「ハウツー」というカタカナから、どんな内容をイメージするか。これは人それぞれで、千差万別だ。

だからぼくは、自分がなんらかのカタカナを使いそうになったとき、一度はその翻訳を試みる。英語的な正しさに基づく翻訳ではなく、そのカタカナが持つ核心部分をすくい取るような翻訳を、自分のなかで試みる。多義的で、印象に寄った、十人十色なカタカナを、どうにか日本語(和語・漢語)に訳してみる。

そうしてたとえば「ハウツー」を「方法」という日本語に置き換えたとき、それまで見えていなかった言葉の広がりが見えてきたりする。横やななめの展開が、しやすくなるのだ。


……という今日のこの話。これは「方法」だろうか、別のなにかだろうか。ぼくはやっぱり「方法」とは違うところでの話だと思うのだ。