その危機は、自分が自分で育てているのだよ。

むかし簡単にできていたはずのことが、むずかしい。

老齢をなげいているのではない。なげくほどにはまだ、老齢とはいえない。仕事の話でもない。仕事のなげきはもう、書き飽きたくらいだ。まったくもって書き飽きないこと、そして対面で聞かされるひとはとっくに聞き飽きているだろうこと、だからここに書くしかないことといえばやはり、犬の話である。

まだ1歳にも満たないわんぱくボーイ。

彼と一緒に暮らしていると、さまざまにもろもろなトラブルがやってくる。吠えてみたり、ひろい食ったり、そそうをしたり、相変わらずひろい食ったり、それでもひろい食ったり。

落ち葉だとかティッシュだとかの有機物っぽいものをひろい食ってるうちは、ばかだなあ、犬だなあ、と笑っていられるのだけれども、ときどき笑えないものをごっくんしちゃって、まあ困る。ものの本によるとそういう場合は即刻病院に搬送し、胃袋の中身を吐瀉させるべしなのであって、もう、その「病院」とか「搬送」とかの言葉だけでおおごと感が増幅され、お家の一大事になってしまう。

それで思うのだ。

むかしは犬って、どう飼ってたんだっけ、と。

小学生のころに飼っていた雑種犬について、こんなお家の一大事になったおぼえはまったくない。忘れてるだけだよ、ほんとはいろいろあったんだよ、と言ってみたい自分もいるのだけど、ほんとにない。病院に連れていったのは老犬になり、フィラリアが判明してからのことで、それ以外で予防接種以外のなにかをしたおぼえは記憶のどこにも見つからない。

人間と比べるのはどっちに対してもよくないとは思うけれど、子育てとかさ、学校教育とかさ、企業での人材育成的ななにかとかさ、いまはなんでも「お家の一大事」になってるんでしょうね。それでよくなった面もたくさんあるはずだから、別にむかしはおおらかでよかったねー的な話にするつもりもないんですけども。

なんというか、ぼくは自分のことを「犬? 犬なんてのはね、ごはんにみそ汁でじゅうぶんなんだよ」なタイプの人間だと思っていたんで、ちょっとおどろいています。この毎日のようにやってくるお家の一大事に。それを育てている自分に。

壁に耳ありジョージとメアリー。
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古賀史健