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小心者の、おのぼりさん。

まだ海外旅行をしたことのなかったころ、二十年以上前の話だ。

知り合いになったイギリス人が、日本の地方都市で暮らすうえでの苦労、もしくはむつかしさについて語っていた。彼は、英語話者の白人男性が日本で受けられる恩恵についてはすなおに認めつつも、やはり日本のどこに行っても「ガイジン」と見られ、ときにエイリアンのように扱われることの面倒さを嘆いていた。

イギリスでは違うのか。ぼくの質問に対して彼は、ぜったいに違う、と答えた。「もしもロンドンの街を古賀さんが歩いていても、みんな『ガイジンがいる』とは思わないよ。ナニジンが歩いてるのかなんて誰も気にしないし、古賀さんのこと、イギリス人だと思うイギリス人も多いと思うよ」。

そんなはずはないだろう。彼のことばがずうっと気になっていたぼくは数年後、はじめての海外旅行先にロンドンを選んだ。街を歩き、自分がどんなふうに見られているかなんて、なんにも気にならなかった。見るもの聞くもの食べるもの、すべてが新鮮ですべてがおもしろかった。完全なおのぼりさんだった。

なるほど。どこの国にも観光客はいて異邦人はいる。しかし、なにをもって異邦人の認定を受けるのかといえば、人種や民族、肌の色ではまるでなく、ただただおれの醸し出す「おのぼりさん性」なのだろう。その挙動からどうしようもない「おのぼりさん性」が抜けたとき、おれは観光客と市民のあいだに溶け込むのだろう。そう理解したのをおぼえている。


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貸別荘に到着した月曜日から、本日で3日目。

きのうの夜あたりだろうか。うちの犬からようやく「おのぼりさん性」が抜けてきた。きょろきょろキョロキョロずっとまわりを気にして、くんくんクンクンにおいを嗅ぎまわり、物音や人影にわんわん吠え立て、おのれと周囲をへとへとに疲れさせることにほぼ24時間を浪費し、どうにか昨夜あたりから自宅にいるような表情であそび、休んでくれるようになった(初日の夜など、朝までほぼ眠らなかったくらいだ)。

小心者のおのぼりさんが、いちばんタチが悪い。

明日、東京に帰ります。