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そこに灰だらけのネコはいるか?

「おもしろい」とは、どういうことなのか。

どんな着想を、どんなことばを、どんなストーリーをぼくは「おもしろい」と思うのか。他人のことはわからない。ぼくという人間はどんなものに触れたとき、それを「おもしろい」と感じるのか、ずっと考えてきた。

昨日、こうやって説明するとわかりやすいかもな、という例を思いついた。

映画『男はつらいよ』で寅さんがまくし立てる口上に、「けっこう毛だらけ ネコ灰だらけ 尻のまわりはクソだらけ」というものがある。露天商として客の前で啖呵をきるとき、寅さんは大抵このことばからスタートする。

分解すると「けっこう毛だらけ」は、他愛ないダジャレともいえることばだ。そして締めの「尻のまわりはクソだらけ」は、ちょっとした下ネタだ。どちらも冗談の一種であり、たぶん笑いが起こるのは最後の「尻のまわりはクソだらけ」を聞いた瞬間なのだけど、そこのクリエイティブ指数は低い。

もっとも謎で、この口上のおかしみに寄与しているのは、そのあいだに挟まれた「ネコ灰だらけ」だと、ぼくは思っている。


灰だらけのネコとはなんなのか?

たぶん、暖を求めて火を消したあとの囲炉裏に入ったネコなんだろう。むかしはそういう灰だらけのネコがたくさんいたんだろう。でも、そんな事情に考えが及ばなくとも、「ネコ灰だらけ」は音がいい。リズムがいい。絵面がいい。なんの冗談でもなく、日常にある事実を描写しただけなのに、やたらと心地がいい。そして「○○は△△だらけ」というたとえのなかに、灰にまみれたネコを連れてくるその着想がいい。

ぼくが誰かの文章を読んで「おもしろい」と思うとき、そこにはなにかしらの「ネコ灰だらけ」的な飛躍があり、無駄がある。意味やメッセージ、機能から遠く離れた、ことばと音そのもののおかしさがある。


ネコ灰だらけ的なる、飛躍と無駄。そういうものを書いていけたらなあ。