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緊急かつ重要なもの

先週、ふいにオフィスを訪ねてくださったYさんとお話ししていたとき、「人はなぜもの忘れをするのか?」という話題になりました。

自慢することではありませんが、ぼくはその道の名人といえるほどの「もの忘れ力」を誇っています。たとえば現在、ぼくの仕事机に置かれたディスプレイには、To Do からスケジュール、備忘のメモまで、大小12枚のふせんが貼られています。

ところが、それだけたくさんのふせんを駆使しながら、われながら不思議なくらいに忘れる。いつも視界にあるはずなのに、そこにピントが合わない。とくに送付すべき書類とか、納めるべき公金とか、そのへんの事務的作業になると、たぶんいまでも2〜3個は忘れているであろうという自負というか、恐怖心があります。

どうしてそんなに忘れるのか。Yさんと語り合いながら、ひとつ思い当たりました。「どうもおれ、嫌なものほど忘れるっぽいぞ」と。このあたり、少していねいに説明しましょう。

たとえばフリーランスの時代。あの税金を納付しろ、この税金を納めろ、こんどはこっちだ、みたいな書類がたくさん届きますよね。で、ぼくは節税も脱税もめんどうくさいし、できれば後ろ指をさされることなく穏便に生きていきたい小市民だし、税金それ自体を納めることには、なんの異存もないんです。ただ、てくてく銀行まで歩いて、赤い紙やら緑の紙やらに金額を記入して、ハンコを捺したのちに窓口で納付する、というその作業、時間、手間が、たまらなく億劫なんですね。

ということで、その手の事務的な書類を受けとると、横目で納付期限を確認したのちに「まあ、仕事が落ち着いたときでいいや」と保留するわけです。そして保留された書類は、記憶の小部屋に放置され、いつしか記憶の押し入れに追いやられる。血眼になって探さないと見つからないくらい、記憶のはるか向こう側にいってしまう。

だとすれば。よく言う「緊急と重要のマトリクス」みたいな話、あれ嘘じゃねえか、と思うわけです。こういうやつですね。

自分の抱えてるタスクを緊急性と重要性の度合いによってマトリクス化して、まずは「緊急かつ重要」なものに手をつける。そして「緊急だけど重要じゃないもの」をサクサクこなしつつ、「緊急じゃないけど重要なもの」を増やしていく。

これ、納得感も高くて実際そのとおりなんだろうなあ、とは思います。ただ、ぼくのような忘れん坊将軍の場合、なにはなくとも「こころのなかで先送りしたいと願っているもの」から先に手をつけることが、まっとうな社会人としてサバイヴしていく上での「緊急かつ重要」なことなんだろうなあ、と思った次第です。

ということで今日のお昼、銀行と郵便局に行ってきます。