隣りあう比喩と、飛躍する比喩。

口のなかに口内炎ができた。

当たり前の話である。足の裏にできた口内炎などあるはずもなく、口のなかにできるからこそ、人はそれを口内炎と呼ぶ。いわゆる頭が頭痛だ問題であり、馬から落馬した問題と同じ話だ。

口内炎の嫌さ加減については、みんな同じ思いを共有しているだろう。よほどな特異体質でもないかぎり「わたしは口内炎が大好きなんです」と目を輝かせる人はおらず、まるで生乾きした犬の糞を素足で踏んづけたような不快感をもって「口内炎ができちゃってさあ」と語るのがわれわれ一般人だ。


比喩の多くは、こういうところから生まれる。

つまり、不快なら不快の感情をあらわすとき、多くの人が共有できるであろう感覚なり情景なりをどこか「遠いところ」から持ってきて、それに匹敵する不快感である、と表明するのが比喩というものの根本だ。

けれどもまあ、「彼の話を聞きながらわたしは、口内炎ができてしまったような不快感を噛みしめていた」などと直球の比喩にしてしまってはおもしろくもなんともなく、せめて「舌先にできた口内炎にも似た」だとか、なにかの変化をつけたくなる。あるいはいっそ、「まるで足裏に口内炎ができてしまったような」くらいの飛躍をしたくなる。口内炎の「嫌さ」さえ共有できていれば、それを足裏にもってくることは想像力のあそびとして、十分可能なことなのだ。

と、なんの話をしているのか。

口内炎ができてしまった。しかも、けっこうおおきめの口内炎ができてしまった。いま、あわててビタミンBやらCやらのサプリメントを飲んでみたのだけど、そんなものは焼け石にウォーターで、これからしばらくこの口内炎と過ごす日々が続くのだろうなあ。いま「おれが思っていること」を正直に書くとしたら、まずは口内炎だよなあ、と思って口内炎の話から書きはじめてはみたものの、それだけで終わってしまってはなにもおもしろくないんだよなあ、という逡巡がこのような話をぼくに書かせた。

どうです、役に立たないでしょう。


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鬼にカネボウ。
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古賀史健

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