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紅白歌合戦とフジロック。

今年は、2016年という年は、なんだかすごいぞ。

年の瀬を迎えたいま、つくづく実感している。少しずつそうなっていった、と思っているひとも多いだろうけど、ぼくの個人的な実感として、なんだか今年ガラリと変わった。去年までとはあきらかに違う。

クリスマスと、たぶん来年のお正月についての「お祭り感」である。

90年代、そして数年前まで、あんなに非日常なお祭り感にあふれていたクリスマスが、今年は街並みも、テレビを中心とするメディアも、そしてたぶん多くの方々も、ごくごく普通の「記念日」くらいの扱いでスルーしていった。


大学卒業後、メガネ屋さんに就職したぼくは、はっきりと憶えている。流通業のなかで、いちばん最初に「非日常の日常化」を志向したのはダイエーの中内功さんだった。96年からダイエー全店で元日営業を開始。いまはみんな忘れてしまっているけれど、それ以前の「お店」は元日しっかり休んでいたのだ。そして当時、ぼくの勤めていたメガネ屋さんの社長は、中内さんのことを信奉しきっていた。翌年から「うちも元日営業するぞ!」と言い出し、ぼくら社員はお客さんのひとりも来ない元日から、店頭に立った。「こんなの常態化したらたいへんなことになるぞ。誰もサービス業に就きたいと思わなくなるぞ」と思ったのを憶えている。

以来、日本のなかから少しずつ「お正月」や「お祭り」が失われていき、インターネットの普及とともに「毎日、毎時間、毎分、毎秒ごとに新着情報が届くこと」が当たり前の時代になった。紅白歌合戦がつまらなくなったのは「歌」の力が弱くなっただけでなく、大晦日やお正月が持つ「お祭り」の力が弱くなっていったことも、大きく関係していると思う。


できればこういう時代の変化を「むかしはよかった」と懐古するのではなく、「いいもの」として受け入れていきたいと、ぼくは思っている。振り子が左右に振れることはあっても、時代そのものが後戻りすることはないのだから。

かろうじていえば、97年からはじまったフジロックフェスティバルかなあ。あれに象徴される、ちいさいけれども熱く、ハイコンテクストな「あたらしいお祭り」がたくさん生まれて、みんながひとつのおおきな物語に染まらずにすむ時代になったのは、まあよかったのかなあ。ぜんぜん知らないままに言うとたぶんコミケってのも「そういうフジロック」なんですよね。場所としては。

まあ、「年末いつまで働こう?」とダイエー的なことを考えているうちに、こんな話になりました。