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ばかのすすめ

あるとき、「ぼくはばかなのだ」と決めてから、人生がとてもらくになった。卑下するのでもなく、謙遜でもなく、もちろん冗談でもなく、ただただ純粋に自分をばかだと思うことにしたのだ。

自分がかしこい証拠を探しまわり、それを万人に証明せんとする人生は、とてつもなくつらい。つらぽよ、つらたん、つぁらとぅすとら、である。かつての自分がそこに躍起になっていたからこそ、「かしこいわたし」の無間地獄はよくわかっている。

一方、自分がばかである証拠を探すなんてことはいともたやすく、それを万人に証明する作業も、けっこうたのしい。好きなひと、尊敬するひとに対して「拙者、ばかでござる。教えてほしいでござる」の態度で接すると、みなさんやさしく受け入れてくださる。なんなら、ばかはモテる、とさえいえる。

ばかがモテる最大の理由は、「かしこいわたし」を証明せんと鼻の穴を広げるひとにくらべて、一緒にいてラクだから、なのだろう。

自分のことを、ほんとのほんとに「ばか」と規定することは、かなりむずかしい。ちょっと油断すると、「かしこ」に入れてしまいたくなる。自虐でも冗談でも謙遜でも嫌味でもなく、自分を「ばか」と思っている人は、ぼくのまわりでもかなり少ない。ほとんどいない、と言ってもいいくらいだ。

わたしはばかである。

このことばには、とてつもなく重い決断と鋼の意思が込められているのだ。