ばかのすすめ

あるとき、「ぼくはばかなのだ」と決めてから、人生がとてもらくになった。卑下するのでもなく、謙遜でもなく、もちろん冗談でもなく、ただただ純粋に自分をばかだと思うことにしたのだ。

自分がかしこい証拠を探しまわり、それを万人に証明せんとする人生は、とてつもなくつらい。つらぽよ、つらたん、つぁらとぅすとら、である。かつての自分がそこに躍起になっていたからこそ、「かしこいわたし」の無間地獄はよくわかっている。

一方、自分がばかである証拠を探すなんてことはいともたやすく、それを万人に証明する作業も、けっこうたのしい。好きなひと、尊敬するひとに対して「拙者、ばかでござる。教えてほしいでござる」の態度で接すると、みなさんやさしく受け入れてくださる。なんなら、ばかはモテる、とさえいえる。

ばかがモテる最大の理由は、「かしこいわたし」を証明せんと鼻の穴を広げるひとにくらべて、一緒にいてラクだから、なのだろう。

自分のことを、ほんとのほんとに「ばか」と規定することは、かなりむずかしい。ちょっと油断すると、「かしこ」に入れてしまいたくなる。自虐でも冗談でも謙遜でも嫌味でもなく、自分を「ばか」と思っている人は、ぼくのまわりでもかなり少ない。ほとんどいない、と言ってもいいくらいだ。

わたしはばかである。

このことばには、とてつもなく重い決断と鋼の意思が込められているのだ。

出る釘は浮かれる。
57

古賀史健

コメント3件

ある程度賢いことが前提の上で勧める馬鹿は分かるんですが、本当に馬鹿だと怖いよねっていう世界もあって、やはり勉強とか積み重ねってのもかなり大事だよねって思う時もあり、どちらかというと、やはり賢さを目指して欲しい気もします。危険性の程度の比較の話で。

まさかそこまで、、、、っていう時もありますからね。まさかそこまではないだろうという期待を軽々と超えちゃう的な。そういうのも怖いですよ、苦笑。
辛くなるまでの努力の積み重ねの経験もなく、その苦労も知らず、一気にやらかそうとする人もいますから。

ある程度賢いとか、常識ある感じ前提の人は多少何を言っても全然怖くないんで、もちろん古賀さんは全然怖くないんですけど。

やはり、ある程度積み重ねた上での謙虚さだなとは思いますね。

確かにそこまで大したことないのに利口ぶる特に男性もイタイんですが。そのイタさより怖い世界もあるなと。バカの世界にも。

多少のことでインテリぶらない、自惚れないことへの強い勧めくらいなら全面賛同です。

タイトルに釣られました、笑。
お休みをゆっくり過ごされたのなら幸いです。
こちらのブログ、実はプリントアウトしたのです。部屋の壁に貼るように。。
私は、何年も前に部屋の壁に、いくつかの教訓が書かれたプリントを貼りました。その当時、よく読んでました。そして、読まなくなりました。それがここのところ、壁まで行ってその同じプリントを読み直すようになったのです。壁に貼るというのは、なんか形っぽいですし、忘れてしまって壁の飾りにしか見えなくなるものさと思う反面、自分が思い出せばやっぱり目について読み返すようになるのだと思いました。
今回の古賀さんのブログは、そういう自分へ、あのこの言葉を壁に貼ろう。。という心境にさせるものでした。忘れてしまう自分になっても、いつか思い出す自分のために目に入るところに貼っておきます。
赤塚不二夫さんの「天才バカボン」の根底のテーマに通ずるものを感じました。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。