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そのことばを使う資格がおれにはあるか。

言っちゃったもん勝ち、としか思えないことばがある。

前にも書いたような気がするけど、あまりに鮮烈な記憶として残っているのでもう一度書くと、いまから20年以上前の1995年、堺屋太一さんが『大変な時代』という本を出版された。正確には「大変」の文字にカギカッコがついた『「大変」な時代』という表記なのだけど、そして実際に読めば国際化や情報化、高齢化など、社会の構造変化に警鐘を鳴らす先駆的な内容の本なのだけど、くそ生意気な地方大学生にすぎなかったぼくは「なんでもありかよ」と思った。いつだって「大変な時代」だよ、と。

同様のツッコミを入れたくなるのが今年の下半期に入ってから急激に増えてきた、「平成を振り返る」系の報道・コンテンツだ。

そこにはたいてい「激動の平成30年史」みたいなコピーがつけられている。もちろん明治だって大正だって、いわんや昭和の60数年だって、いつの時代もそう振り返ろうと思えば「激動」になる。それを、なにが激動の平成30年史だ。もっと考えてことばを使え。考えないのなら使うな。『大変な時代』から20数年経過しながらぼくは、まるで成長できていない自分を呪いつつ、そう毒づいている。

しかし。

しかしけれどもでもだって。

さすがにこれは「激動」と呼んでもいいのではないか。これを「激動」と呼ばずして、いったいどこでその語を使うのか。


そんなふうに振り返っているのはそう、きのう無事に終えた引越である。

恥をしのんで写真をあげると、まず引越前夜のぼくの机はこんな状態だった。

そして翌朝の打ち合わせスペースはこんな感じ。

1時間後には引越業者さんがやってくるというのに、これなのである。ときどき「その人の靴を見ればだいたいどんな人間かわかる」とか「その人の字を見ればどんな人間かわかる」みたいな話を耳にするけれど、そして部屋や机の汚さをもって相手の人間性を見定める、という人もきっといるとは思うのだけど、その基準でいくとぼくは完全にダメ人間なのだけど、こればっかりは隠してもしょうがない。そういう人間なのだ、ぼくの根っこは。

そして引越当日、アート引越センターのお兄さん・お姉さんたちが獅子奮迅のはたらきを見せ、数時間後にはこんな状態になった。

また、アート引越センターのみならず、きのうはツドイの今井くんと、鷗来堂かもめブックスの柳下さんも手伝いにきてくれた。ふたりとも経営者でありながら、この忙しい12月にこんなぼくと用事に時間を使ってくれて、ほんとうにありがたい。


そんなこんなの little help from my friends がありつつ昨夜、どうにかぼくは新オフィスでひとり、原稿を書くところまで行きついたのだ。

こんな整然とした机のうえで。

いったい、なんの原稿を書いていたのか。


今晩から飛び立つネパール取材に向けた準備稿を、書いていたのである。まだパッキングも終えていない、7日間の取材旅行に向けての原稿を。

というわけで先週から今週にかけて、お仕事仲間のみなさまや友人・知人のみなさまには露骨にご迷惑やご心配をおかけしたと思いますが、きょうからもう1週間だけ、その期間が延びてしまうこと、あらかじめお詫び申し上げます。そして陰で日向でこの数週間の激動を支えてくださったみなさま、ほんとうにありがとうございます。新オフィス、ぜひきれいなうちにあそびにきてくださいませ。

そして来週月曜日から金曜日までの note は予約投稿による「旅に出ているあいだ、みなさんからの質問にお答えします」という質問コンテンツをお届けします。激動のなか、がんばって書きました。ぜひよろしく読んでやってくださいませ。


では、いざ激動のネパールへ!
(その前にパッキングだ)