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天文学的な確率の、その出会い。

出会いは億千万の胸騒ぎ、である。

ポップソングの歌詞、またはドラマやマンガなどの台詞で、出会いの偶然性や運命性について語られることがある。地球上には70億もの人間がいて、そのうちのたったふたり、きみとぼくとがここで出会ったのは運命的なことだよね、といった言説だ。たしかに確率だけでいえば天文学的な数字によって成り立つ確率だろうし、だからこそこれらの台詞は満天の星空を見上げながら語られたりするのだろう。


出会いといって思い出すのが、美容師とマッサージ師である。

腕のいい美容師やマッサージ師は、世のなかごまんといる。いまならきっと検索して捜すこともできる。けれども技術を超えた「なんか、合う」の人を捜すことは、まさに億千万の胸騒ぎというか、出会いを待つしかない話である。とくに身体を直接触られ、1時間や2時間もの時間をともに過ごす美容師・マッサージ師は、なかなか「これ!」という人に出会うことがかなわない。


と思っていたのだけれども現在、ぼくには「これ!」と思える美容師さんとマッサージ師さんがいる。70億の地球人を試していった結果みつけたのではなく、それどころか東京都内すらちゃんと捜したわけでもなく、美容師さんに関しては前オフィスから徒歩5分のところに、マッサージ師さんに関しては自宅の最寄り駅近くに、それぞれ「これ!」という人がいる。

こんなに近場で見つけちゃっていいのか、という気がしないでもないけど、いいものはいいのだからしょうがない。考えてみればぼくがいちばん好きな中華料理店も、いちばん好きな町中華も、自宅の近くにある。どうやらぼくは、そういう男なのだ。


「運命的な出会い」なんて壮大な話は、けっきょく自分の近場で起きるものなのだ。ひとつだけ運命的なものがあるとすれば、「自分がどこに所在しているか」という、それだけの要素だろう。70億のなかから誰かを選ぶのではなく、まずは自分がどこに所在するかを選び、そこで近場の(目に映る範囲の)人やお店やサービスやを選んでいくのが、ぼくらの日常ではないだろうか。

いろいろ言いながら、バイト先の「ちょっとかわいいこ」に惚れちゃうものなのだ、たいていの男は。