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おめでとうと、ありがとう。

好きなことばは「重版出来」。

Twitterのプロフィール欄にそう書いている編集者さんや作家さん、ライターさんは多い。ぼくだって好きだ。大好きだ。どんなに少部数の重版であれ、心底うれしく思うし、ありがたく思う。

これはもう、お名前を出してもかまわないと思うのでご本人に許可を取ることなく書くと、ダイヤモンド社に今泉憲志さんという編集者さんがいる。編集者というより、書籍編集局の局長さんだ。『取材・執筆・推敲』や『嫌われる勇気』などをダイヤモンド社さん側で担当してくださっている編集者さん、というか局長さんである。

今泉さんは重版出来の連絡にあたって、かならず「ありがとうございます」を先に書く。つまり、「第○刷、○○○部の重版が決まりました。どうもありがとうございます」と。そしてお礼や感謝のことばに続けて「おめでとうございます」と祝福のことばを書き添える。

丁寧だとか礼儀正しいとか、そういう次元の話ではない。

うれしいのだ、そう言ってもらったほうが。先に「ありがとうございます」とお礼を言ってもらえると、こちらとしても「ああ、おれもダイヤモンド社さんに貢献できたんだなあ」と思える。「あのときがんばって、いい本をつくることができてよかったなあ」と思える。ただでさえうれしい重版のよろこびが、倍増する。

一方これが「○○○部の重版が決まりました。おめでとうございます」だけだと、ぼくの場合は恐縮してしまう。「おれなんかの本に重版かけてくださって、どうもありがとうございます」と平身低頭してしまう。場合によっては申し訳ないような気にさえ、させられる。

しかも人間はこのへんのところ、理屈で考えるのではない。感覚的に、ほとんど無意識のうちに、貢献を実感したり、ひたすら平身低頭したりする。その「ありがとう」のひと言が先に入っているだけで。

貢献感。これは『嫌われる勇気』のキーワードでもあることばだ。

おめでとうより先に、ありがとう。——きっと、いろんな場面に応用できる考え方だと思い、ご本人に断りを入れることをしないまま書いてみました。