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いつか見かけた送別会。

ここでやられるのは、ちょっと嫌かもなあ。

先日、遅めの夜ごはんを食べようと最寄り駅に隣接したオフィスビル地下街に行った際のこと。あるお店の前に、スーツ姿の集団があった。見ると彼らは会社の同僚で、いままさに会計を終えて解散しようとしているところだった。輪のなかにひとり、女性社員がいる。どうやら彼女の送別会がおこなわれたらしい。上司らしき男性が「それでは○○さんの前途を祝して」などと声を上げている。ぼくは思った。ここでの送別会は、ちょっと嫌かもなあ、と。

そのお店が、安居酒屋だったからではない。送り出される身として、高い店でうまいものを食わせろと言っているわけではない。ただ、なんて言うんだろう。その「誰も、なにも企画していない感じ」がちょっと、切ないなあ、と思ったのだ。

企画といっても、サプライズのなにかがあるとか、お店を借り切ってビデオを流すとか、そういう大仰な仕込みはぼくも苦手だ。

でも、おそらく彼らはあのオフィスビルで働く人たちで、仕事帰りにそのまま地下食堂街に降り、テキトーに形ばかりの送別会を開いた(もちろんこれはぼくの勝手な予想だけれど)。


なんだってそうなんだけれど、ぼくはそこにほんの少しの「考えたあと」がほしい。それが愛情のしるしだったり、誠実の証だったり、敬意のあらわれではないかと思うのだ。逆に言えば「考えたあと」の見当たらない企画や提案は、失礼なのだと。

もちろんこれは、コンテンツにも言えることだ。

「考えたあと」の見えない、パターンどおりに置いただけのコンテンツ、たくさんあるよなあ。