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人が変わるということは。

戦前に活躍した、ロバート・ジョンソンというブルースマンがいる。

彼の手による楽曲で、おそらくいちばん有名なのはクリームがカヴァーした "Crossroads" だろう。その他、ローリング・ストーンズの "Love In Vain" や "Stop Breakin' Down"、意外なところではレッド・ホット・チリ・ペッパーズの "They're Red Hot" なども彼のカヴァーだ。

そうした楽曲以上にロバート・ジョンソンの名を世に広め、神格化させるまでに至った逸話が、いわゆる「クロスロード伝説」である。

妻子を亡くし、ギター片手に放浪の旅を続けていたロバート・ジョンソン。「犬でさえ耳を塞ぐ」と酷評されるほどギターが下手だった彼は、ある日の夜、国道が交差する十字路に立っていた。そして時計が0時を回ったとき、彼の前に悪魔が現れる。ここでロバート・ジョンソンは、悪魔と契約を交わす。その魂と引き替えに、超人的なギター・テクニックを手に入れたのだ。天才ブルースマンとして全米を渡り歩いた彼は、悪魔との契約から数年後、27歳の若さにして謎の死を遂げる。毒殺とも刺殺ともされるその死に際して彼は、四つん這いになり犬のように吠えたのち、息絶えたという。


こうした伝説に触れながらおもしろいなあと思うのは、おおくの人が「変わる」ことについて、一瞬や一夜の「奇跡」を想定している事実だ。まるでカミナリに打たれるような、なにか強烈で偶発的な出来事を通過した結果、自分は「変わる」。ほとんど「変身」に近いくらいの変化を遂げる。ギターだって、サッカーだって、あるいは文章を書くことだって、一夜にして劇的な変化を遂げる。そういう寓話を、心のどこかで期待しているところだ。

たしかに「考えかた」であれば、一夜にしてなにかが劇的に変わることもありえるだろう。実際『嫌われる勇気』という本のなかでは、力強くそう断言する箇所もある。けれど、ギターやサッカーや文章のような、多少なりとも修練を必要とするようなものの「上達」に関しては、そうもいかない。やはり、少しずつ変化していくしかないのだ。上達できているのかいないのか、自分でもわからないくらいのスピードで変化していく以外にないのである。


きのう、ツドイの今井雄紀くんと、うちの会社(バトンズ)の田中裕子さんと3人で食事をした。ふたりに対してぼくは、毎日 note を書くことをすすめた。ときどき「いいこと」を書くのではなく、とにかく毎日「どうでもいいかもしれないこと」を書き続けることをすすめた。

ふたりはまだ、アラサーとされる年代だ。アラフォーをずいぶん超えてから「毎日書く」をはじめたぼくだって、この3年半でそれなりの変化を遂げた自覚がある。ぼくより10歳やそれ以上も若いふたりだったら、同じ3年でもぜんぜんおおきな変化があるだろう。そこにあるものが、上達なのか成長なのかはわからない。それでも「変化」が待っているのは間違いないと、ぼくは断言できる。そしておそらく、いまのふたりになんらかの「変化」が必要であることも。

毎日書いていると、何度となく「こんなの誰が読んでくれるんだろう?」との迷いや不安に突きあたるだろう。だからぼくは約束しておく。


ぼくは、読む。

どんなにつまらない内容であっても、これを契機に書き続けているかぎり、ぼくだけは毎日必ず読む。

これはふたりへの約束というよりも、ぼく個人の、自分への約束だ。


もちろんぼくも、書き続けるよ。たとえきみたちが読んでくれなかったとしても、これまでどおりに、これからも。