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むかしむかし、あるところに。

むかしむかし、あるところに。

……誰もが知ってるこのことば。誰がつくったのか知らないけど、見事なものだなあ。と、いつも感心してしまいます。このことばを聞くだけで、すうっと物語の世界に入っていける。そのさきにどんなぶっ飛んだ説明がなされても、違和感なく受け止めることができる。おじいさんとおばあさんが暮らしていようと、さるとカニが住んでいようと、ぜんぜんかまわない。導入文というよりも、ほとんど「おまじない」にも似たことばです。

もしもこれが「むかし、あるところに」だったとすれば。おまじない効果は、ほとんど期待できないでしょう。「むかしむかし」という音のくり返しが、そこにある反復のリズムが、催眠術めいたおまじない効果を発揮しています。


あるいはこれを「カメラ」の観点で考えてみましょう。

具体的には、監督である自分が『桃太郎』を映像化するとした場合、冒頭に登場する「むかしむかし、あるところに」というナレーションに、どんな映像をのせるか考えてみましょう。

おそらくほとんどのひとは、「山のなかにある、ちいさな藁ぶき屋根の民家」の映像をのせようとするのではないでしょうか。少なくとも、いきなりおじいさんやおばあさんの顔を大写しすることはしないはずです。

「むかしむかし、あるところに」のおまじないは、なにも描いていないようでいて、いちおうは「時代」と「場所」を描いています。「むかしむかし」と言われて高層のタワーマンションを思い浮かべるひとはいないだろうし、「あるところに」と言われて特徴的・限定的な土地(たとえば断崖絶壁のような)を思い浮かべるひとはいない。どこというわけでもない、いまよりもずっとずっとむかしの、なんでもない場所。おまじないは、読者の潜在意識にひそむ「むかしむかし」の「あるところ」を、そっと掘り起こしてくれます。

そうして(もしかすると読者そのひとだけの)場所を特定させたうえで、おじいさんやおばあさん、さるやカニといった登場人物の具体を、語りはじめる。遠景だったカメラを、ぐっと対象に近づける。

舞台の説明をすっ飛ばして、いきなりアクションシーンから描く手法も当然あるのですが、それはよほどアクションに自信がないかぎりやめたほうがいい。ここはいったい「どこ」なのか。いまはいったい「いつ」なのか。たとえ数秒でもいいから、遠景のカメラで描いてあげる。しかもできれば、おまじないのような自然なことばで、自然なカメラワークで描いてあげる。読み手を、聞き手を、そのお話の住人としていち早く迎え入れてあげる。

ものを語るときの基本、誰かになにかを伝えようとするときの基本は、すべて「むかしむかし、あるところに」のなかに詰まっているんじゃないか。

灯台下暗し。なんか、そんな気がするんですよね。