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もう、これでいいんじゃないか。

もう缶コーヒーでいいんじゃないか。

仕事中にぼくは、けっこうたくさんのコーヒーを飲む。眠気ざましというわけではなく、気分転換というわけでもなく、水よりお茶よりジュースより、なんだかコーヒーを飲んでいる。いわゆるハンドドリップに目覚めたこともあるし、「まるでお店の味」と評判のコーヒーメーカーを買ったことも、通常のエスプレッソマシン、カートリッジ式のエスプレッソマシン、いろいろ試しながら生きてきた。

そして最近、缶コーヒーばかりを飲んでいる。

ブラックと微糖とをそれぞれ冷蔵庫に常備し、気分や疲れ、空腹の具合によって使い分けながら、それを飲んでいる。自宅で缶コーヒーを飲むことは、ほとんどない。自宅ではなるべく豆を挽き、ハンドドリップでコーヒーを淹れる。それはほとんど淹れているときの香りをたのしんでいるようなもので、週末の朝なんかじゃないと、時間的にも気分的にもその余裕はない。そして余裕を失いっぱなしのオフィスでは、もう缶コーヒーばかりを飲んでいる。


洋服についてはまだ、「もうユニクロでいいんじゃないか」にはなってない。

カメラについてはずいぶん、「もうiPhoneでいいんじゃないか」になった。


そう考えると「もう○○でいいんじゃないか」は、あきらめのことばというよりも、もっと肯定的な「だって△△という意味では、こっちのほうがいいんだもん」が含まれているような気がする。そして△△に入ることばは「価格」ではない気がする。

最近の缶コーヒー、意外と完成度高いですよ。