見出し画像

ひと駅ぶんが、ちょうどいい。

いま、cakes の加藤さんと一緒に、毎週取材に出かけている。

お互いの会社は渋谷。帰り道は同じ方向だ。しかし取材を終えて帰るとき、そのまま地下鉄に乗ることをせず、ひと駅ぶんを歩くのが、いつの間にか習いになった。夏の暑い日も、雨降りの日でも、10分にも満たない距離を、てくてくふたりで歩いていく。

その日にお互い思ったこと、これからこうしたほうがいいと思っていること、あるいはなんでもない近況報告、ちょっとしたうわさ話。限られた時間のなかで、いろんなことを語り合う。

もしもふた駅ぶんだったら、疲れてしまうかもしれない。「あぢー」とか「さみー」とか、「最近忙しい?」とか、どうでもいい話に流れるかもしれない。けれどもひと駅ぶんなら、ちょうどいい。ひと駅ぶんの距離とは、「ちょっとだけ話し足りない」くらいの時間であり、距離なのだ。ひとつ先の、交差点から降りていく駅が近づくと、お互いなんとなく話を切り上げて、それぞれ別の地下鉄に乗る。


と、ここからは人間関係一般の話として書くのだけど、思えば「いい関係」とは、「ちょっとだけ足りない関係」のことを指すのかもしれない。

いつもいっしょで、いつもべたべたしているよりも、「今度会ったら、あれを話そう」と思い合っている時間が、どれだけあるか。ひとりのとき、会わない時間に思う「あなた」が、どれだけおおきいか。


おいしい料理を食べて、「あ、これあのひとと一緒に食べたいな」「あのこを連れてきたかったな」と特定の誰かを思い浮かべるとき。ぼくらはそんなにも「あなた」を思う自分を知り、「あなた」に恋をしている自分を知る。

逆にいうと、パートナーとの倦怠期なんて話も、時間や会話や距離について、「ちょっとだけ足りない関係」を模索しようとしているのかもしれない。

「人間関係は近すぎても遠すぎてもいけない」とはよく言うけれど、これからは「ちょっとだけ足りない」くらいがちょうどいい、と考えてみよう。たぶんそれは、いつも明日がたのしみでいられるような、気持ちのいい関係であるはずだ。