土曜日のノート。

気の向いたときには休日にも更新するようにしている、このnote。

こうしていま、仕事をいったん休止してなにかを書こうとしているのは「気が向いた」証拠であって、その理由は本日更新分のほぼ日「今日のダーリン」にある。

明日には消えてしまう、きょう1月14日の「今日のダーリン」。糸井さんはこのなかで「バカという役割」について書かれている。一部分だけを転載させていただくと、

有用性や、合理性や、効率や、教養や、倫理を、
まったく要求されないコミュニケーションを、
人は探し、求め、享受しているのである。
他の人にとっての「バカの役割」をじぶんがしてあげて、
じぶんにとっての「バカの役割」をしてもらう。
そういう遊びの時間は、めしやねむりの次くらいに、
大切なものなのである、と、わたしは考えた。


ほぼ日刊イトイ新聞 今日のダーリン(2017年1月14日分)より

ということだ。


読んだぼくは膝を打ちつつ「バカという役割」について、アドラー心理学的な文脈の中で考えてみた。

アドラーは「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と喝破する。そして人は対人関係に巻き込まれるがゆえ、劣等感を抱き、優越感を得ようとし、さまざまな苦しみに引き裂かれていくという。

おそらく「バカという役割」を演じ合う関係は、劣等感とも優越感とも無縁な関係だ。人は他愛ないバカ話で盛り上がっているあいだ、フラットな関係を結ぶことができる。「今夜は無礼講」とばかりに上下関係を忘れ、競争を忘れ、嫉妬や自虐から解放され、アドラーのいう「すべての悩み=対人関係の悩み」から解き放たれる。

そしておそらく「バカを演じ合える関係」とは、なんらかの信頼によって結ばれた関係なのだろう。好悪とはちょっと別の、能力への評価とも少し違った、「なんかいい」という、「感じ」としての信頼によって。


ああ、バカ話したいなあ。


馬の耳に壇蜜。
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古賀史健

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