夏と冬と、あのひとたちと。

ほんとうだったら今日みたいな日は、なにも書きたくない。

もう少し正確にいうなら、なにも考えたくない。たとえこんなものであってもやはり、なにかを書くにはそのぶんなにかを考えなきゃならない。いまはどうもその体力がない。

きのう脱稿した原稿、さきほどおおまかな推敲はやり終えた。「わあ、このまま出してたら大変なことになってたぞ」な誤字脱字や拙劣な表現はあったものの、総じて「おお、このまま出してもぜんぜん大丈夫だぞ」と思える原稿だった。第三者(たとえば編集者)からのリアクションが返ってくるまでのぼくは、わりと気がおおきい。


えーと、ほかの話を書こう。


明日の東京は、雪が降るのだそうだ。

そのむかし、夏といえばサザン、冬といえばユーミン、とされた時代があった。サザンのことは大好きだったし、ユーミンさんのこともやっぱりすげえなあ、と感心していたぼくだけど、どうしてもその「夏」「冬」の定番扱いに納得がいかなかった。共感できなかった。

ぼくが福岡県に住んでいたからである。

福岡にはスキー場がない。そして九州全体にも、しっかりあそべるスキー場は少ない。少なくともぼくが福岡に住んでいた時代、スキーを愛好する福岡県人の多くは、本州のいずこかに出かけ、滑っていた。それゆえぼくは長らくスキーを「ブルジョアの道楽」と捉え、おれはぜったいにやるものかと憎みきっていた。実際、いまだにスキーをしたことはないし、今後もやらないだろうと想像している。ユーミンさんが歌うゲレンデの恋も、なにがなにやらだった。

サザンにしても同様で、福岡に面した海は、玄界灘である。このへんは説明がむずかしいところなのだけど、やっぱりサザンが歌う「海」は、太平洋な気がする。ずうっと向こうまで泳いでいくとアメリカ大陸につながっている太平洋だ。朝鮮半島をのぞむ玄界灘の浅黒い海岸でサザンの海を「海」として味わうのは、どこかカニカマの蟹チャーハンを食っているような申し訳なさが先に立った。


まあ、今後も間違いなくずっと東京に住み続けるし、東京は好きなのだけれど、どうでもいいところで深く、自分は福岡の人間なのだなあと思う。

郷に入ってはひろみに従え。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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コメント1件

夏のサザンに共感できない気持ちはわかります。私は札幌出身です。夏は寒くて震えながら海に入りました。
冬は、私の時代は学校でスキーの授業があったので、全員が強制的にスキーを経験しました。ゲレンデで流れる冬の歌にテンションがあがったものです。私は槇原敬之さんの「冬がはじまるよ」が好きでした。
今は全くスキー場に行くことはありませんが、車で30分もあればスキー場に行けるところに住んでいたので、スキー=ブルジョワの道楽という感覚は全くありませんでした。笑
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