こんな映画に泣いてしまうなんて。

職業病だと言えば、それまでの話なのだけど。

本を読むとき、雑誌を読むとき、ウェブ上の原稿を読むとき。どうしてもぼくは「自分だったらどう書くんだろうなあ」を考えながら読んでしまう。結果、とくに批判的な目で読んでいるわけでもないのに、どうしても厳しい評価に行きつくことがある。「もったいないなあ」「惜しいなあ」と残念がったり、場合によっては少しムッとすることさえある。これは、文章表現の巧拙について言っているのではない。文章表現に関していえば、ぼくだって十分に下手だ。

ぼくが許せないのは、ひと言でいえば「サボり」だ。

もうちょっと発想を転がせば、もうちょっと考えを深めれば、もうちょっと言葉を探していけば、その手間を惜しまなければ、もっとわかりやすくておもしろい原稿になっただろうに。最初に思いついた視点や展開、言葉に満足して、それ以上を考えようとしなかったから、こんなもったいない原稿になっているんだ。考えろよ、もうちょっと。粘ろうよ、そこをもう一度。

そんなふうに、「それ以上を考えること」をサボった原稿を目にすると——それは一目瞭然といっていいくらい確実にバレる——ぼくはひどくイライラしてしまう。


と、ちょっと偉そうな前フリを置いたのは、きょう自分の「サボり」をうんざりするくらいに痛感してしまったからだ。


『バーフバリ 王の凱旋』を観てしまったのである。

ぼくは毎年自分の好きな映画ベスト5を更新し、その順位が変動しなくなったら自分のクリエイティブの危機だと思うことにしているのだけど、ついにここで、20年ぶりくらいに王座(1位)が入れ替わった。

もちろん『バーフバリ 王の凱旋』だ。

どんな映画なのか、ストーリーを紹介することはしない。そもそもストーリーに心を震わせたのでもない。圧倒されたのはただ、アイデアの質と量だ。

濃い。クドい。暑苦しい。そんな名古屋メシ的エンターテインメントを予想して、なかばゲテモノ的なZ級バカ映画を満喫するつもりで映画館に入ったのだけど、気がつくとぼくは何度もボロボロ涙をこぼしていた。ストーリー上の悲しみに泣いたのではなく、こんな映画をつくってしまった見知らぬインド人たちに、感激と称賛とブラボーの涙を流していた。

演出、映像、音響、歌と音楽、VFXとカメラワーク。映画が持ちうる道具のすべてを駆使して「これでもか!」というほど詰め込まれたアイデアの数々。もっといける、もっとできる、もっと高く、もっと遠くへ。諦めることを知らない制作陣が貫き通す「もっと、もっと、もっと!」の意志。

ぼくが1冊の本をつくるときに出してるアイデア量なんて、この映画の5分にも満たないんじゃないか。どうしたらこんな「ぜんぶのシーンがアイデアだらけ」な映画が実現してしまうんだ。

大海を知った雨蛙のようにぼくは、ただただ涙を流した。普段の自分がどんだけサボっているのか、ほとほと思い知らされた。


映画としての好き嫌いは当然あるだろうけど、この無尽蔵なアイデア量とそれをぜんぶやりきった意志を確認する、それだけのためにもみんな観るべきだと思う。少なくともぼくは今後、この映画が見せつけてくれた「もっと、もっと、もっと!」の姿を目標に、本をつくる。バーフバリを心に宿して、仕事に臨む。


こんな映画があるんだなあ。また行きます。何度でも観ます。

壁に耳ありジョージとメアリー。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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