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ひとはどうでもいいことを詐称する。

いつわって称すること。すなわち詐称。

本をつくる仕事をしていると、ときどき出くわすことのある、こまった問題です。たとえば著者が、年齢を詐称している。あるいは、学歴を詐称している。その他の経歴を詐称している。身長や体重などフィジカル面での詐称を試みるひともいるでしょうし、「むかしオレは悪だった」的な、あるいは「あのころオレはブイブイ言わせてた」的な、ポジショニングに関する詐称だってあるでしょう。

じゃあ、ひとはなぜ過去や現在を詐称するのか。

これはもう、劣等感の裏返しですよね。たとえばぼくの場合、身長が167センチなのですが、なんの見栄を張ってるのか、つい168〜169センチだと答えることもあったりするし、けれども170センチは言いすぎだよなあ、なんて考えたり、それはそれはたいへんです。

で、いまこの文面を読まれた大半の方は「167センチも169センチも一緒だよ!」とツッコミたくなったことでしょう。

そうなんですよ。

ひとが劣等感を抱く場所、その結果としてなんらかの詐称を試みる場所って、他人からするとほんとーに「どーでもいいこと」ばかりなんですよね。

たとえば出身大学を偽るような、本人からするとかなり大胆な、けれども露呈したらいろんなことが一発アウトになりかねない詐称であっても、じつは他人からすると「どーでもいいこと」に過ぎなかったりする。逆にいうと、性格とか価値観とか、なにをうつくしいと思い、なにを醜いと思うか、みたいな、ほんとに大事なことは詐称できないわけです。


というわけで、きょうは2016年の7月25日。

ポケモンGOがリリースされて3日後の更新です。なんだろうなあ、いろんなところでいろんなひとが「ちょっと低めに詐称してる」んですよね。このアプリのおもしろさだったり、画期性だったり、自分自身のプレイ時間だったり。「ま、いちおうやってみたけど、あれだよね。ここからわかるのは○○○ってことだよね」みたいな、どーでもいい詐称を試みる。


ふつーに遊べばいいじゃん。

遊んだ自分を、オープンにすればいいじゃん。

なんの保身か知らないけど、つまんない批評家に回ることは、いろんなことを損してる気がするんですよね。